blogtitle001.jpg

2017年04月29日

ヤマトと仲なおり4

 今回も作例紹介から。
 発売当時100円だった手軽なプラモデル、ヤマトメカコレクションから、ガミラス二連三段空母である。


●「メカコレクションNO.27 ガミラス二連三段空母」
 当時100円だったメカコレクションシリーズは、主に第二作までの登場メカ20種が発売され、後に80年のTVアニメ第三作放映のタイミングで10種が追加されたと記憶している。
 今回のモデルは後発10種のうちの一つ。
 初期モデル「三段空母」のいわばバリエーションタイプで、発売当時私はそろそろヤマトプのプラモから卒業しつつあったため、作らなかった。
 例によって小サイズながらよくできているが、プレミアで買うようなプラモではない。
 今回の作例は全塗装しているけれども、白線と墨入れだけでも見栄えが大幅アップするだろう。

ymt-06.jpg


 80年の第三作放映時もヤマト自体の人気はまだ続いていたけれども、これは多くの人に同意してもらえると思うのだが、第二作以降は正直「下降線」だったと思う。
 そもそもTV版第二作に先行する、ほぼ同一内容の劇場版第二作「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」において、主要な登場人物もヤマト自体も失われという衝撃のラストで、物語は一旦完璧に終わっていたのだ。
 ところがその劇場版を再編したTV版第二作放映の際にラストは改変され、続編も制作可能なものに差し替えられてしまった。
 作品の「熱」や「感情」というのは微妙なもので、必ずしも作り手の意図する通りにはならず、ましてやビジネスの論理では動かない。
 自然なストーリーの流れの中で作品に生じた感情のピークは、観る方にとってはかけがえのない大切な体験になる。
 改変前の劇場版はTV放映の機会が何度かあったので、当時の私のような年少者も含め、ファンはほぼ100パーセント「結末の違う劇場版」を目にしていた。
 子どもの批評眼は決してバカには出来ないもので、マンガやアニメの人気作がビジネス上の理由から「引き延ばし」にかかると、敏感にそれを察知する。
 察知しながらもしばらくは「大人の事情」に付き合ってくれるが、他に本物の「熱」のある作品が現れれば、大多数のライトユーザーは、あっさりそちらに移行してしまう。
 最後の最後まで続編に付き合って心中してくれるのは、ある程度年長のコアなファンだけだ。
 ヤマトは80年の第三作以降も83年の「完結編」まで毎年のように続編が作られるが、その頃にはもう「ガンプラブーム」と重なっており、ライトユーザーの「熱」はリアルロボットアニメの方に移っていたと思う。

 第一作と第二作のヤマトが熱狂的に支持された要因はいくつも数えられる。
 日本のアニメ史上で初めての、リアルなメカニック描写のSF作品であったことはもちろん大きい。
 もう一つ、ややためらいを感じつつも、どうしても挙げておかなければならないヒット要因としては、作中に含まれる「旧日本軍的アイテム」がある。
 作品タイトルにもなっている主役宇宙戦艦は、そもそも旧日本海軍の巨大戦艦大和の残骸を改造し、姿も名も近似した「ヤマト」であったし、ヒットした主題歌も「軍歌」のイメージ(実際は軍歌よりはるかに高度な音作りなのだが、あくまでイメージとして)が重ねられている。
 そして作中では「神風特攻隊」を思わせる自爆攻撃が、戦闘シーンのクライマックスとして印象に残る。
 史実としての戦艦大和は時代遅れの大鑑巨砲主義でろくに稼働しないまま撃沈され、史実としての特攻隊はしょせん戦局を左右し得ない苦し紛れの戦術であったが、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の作品世界では、どちらも乾坤一擲、起死回生の戦果をあげ、感動を呼んだ。
 また、史実としての大日本帝国は、ナチスドイツと同盟して連合国と戦ったのに対し、アニメ作中でのヤマトは「連合国」的な地球軍を代表し、ナチスドイツを思わせるガミラス帝国と戦った。
 しょせん「お話し」の中でのこととは言え、このあたりの「歴史の捻じ曲げ方」にはちょっと「あやうさ」を感じざるをえない。
 大人になってから振り返ってそう感じるというだけでなく、ヤマトプラモのヒット当時高学年にさしかかり、歴史の学習が始まっていた小学生時代の私も、自分がヤマトファンであることに対してなんとなく「居心地の悪さ」のようなものは感じていた覚えはある。
 こういう葛藤は、たぶんヤマトファンの内の一定数が、あえて言葉にせずとも感じていたのではないかと思う。
 ストーリーだけで考えるなら、主役の宇宙戦艦に旧日本軍の「戦艦大和」のイメージを重ねる必要は全くなかったはずだ。
 もっと他にSF的なデザインはあり得るし、実際作品の企画段階では、主役艦は別の名、別の姿を持っていた。
 しかし、「ヤマト」以外の名とデザインでは、作品の大ヒットが見込めなかったであろうことも、よくわかる。
 今も昔も日本では、「純粋にSFファンだけ」のマーケットは限られており、広く一般にアピールするためには+αの要素が不可欠だ。
 ヤマトの作品内容を主導したのが誰であるかということについては諸説あるが、旧日本軍や旧ドイツ軍のイメージを導入したのは、マンガ家の松本零士で間違いないだろう。
 作品内のメカニックデザインの中でもやや異質なヤマトの懐古趣味や、美麗な松本キャラの容姿は、ヒット要因の中でも最大のものだったはずだ。
 あやうい意匠を持ち込んだ張本人でありながら、同時に松本零士は作品が「軍国主義」や「戦争賛美」につながることを、神経質なくらい避けようと努めたという。
 以前の記事でも述べた通り、男子のミリタリー趣味と反戦平和は両立し得るのだ。
 戦争ごっこと反戦平和
 しかしそれには、「史実の学習」というプロセスが欠かせない。
 私が高学年になるにつれ、ヤマトに対して「微妙な距離」を感じるようになったのは、ごく自然な反応とも言える。
 アニメと現実の違いをきちんと認識することは、子供の楽しみ方から大人の楽しみ方へ移行する時に誰もが体験することだ。
 私の場合はその時期にガンプラブームが重なったこともあって、ヤマトに含まれる軍国趣味について、それ以上に掘り下げて考えることはなかった。
 ヤマトへの感情が「微妙」から「これはちょっとアカンのとちがうか?」に変わったのは、90年代に入ってからのことだった。
(続く)
posted by 九郎 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック