(この記事は「積ん読本」ではなく、以前読んだ本の再読だが、せっかくなのでレビュー)
3月末、ヘッドラインニュースの一つに目が留まった。
そのニュースに注目した人は少なかったかもしれないが、私にとってはチクリと刺さってくるものがあった。
ある死刑囚が、刑の執行を待たず、拘置所で病死したという一報である。
死刑囚の名は関根元。
94年に話題になった「愛犬家連続殺人事件」の主犯と言えば、いくらか記憶のよみがえってくる人もあるかもしれない。
ただ、この事件は極めて異常な犯罪であったにもかかわらず、犯人逮捕の直後の阪神淡路大震災、そしてカルト教団のテロ事件によって引き起こされた報道の奔流に押し流され、続報が人目を引くことはなかったと記憶している。
この事件、何よりもまず主犯の関根元の強烈なキャラクターが異彩を放つ。
本人の社会的地位だけで言えば「極悪人」と呼べるほどの大物ではない。
本職のやくざに対しては(少なくとも表面上は)這いつくばり、自分より弱い立場の物には横暴に振る舞う、半端な「小悪党」にすぎない。
学はないけれども悪知恵がはたらき、脂っこいバイタリティを持ち、ホラ話を聞き流している分には面白いタイプで、本業の「悪徳ペット業者」で満足していれば、まずは世間にありふれた常習軽犯罪者の一人で済んでいただろう。
そうした小悪党の顔を利用しながら、あるいは小悪党でしかなかったからこそ、様々な巡りあわせによって関根の狡知は育て上げられ、身柄を拘束されないままに稀代の連続殺人者に成長した。
関根の殺人の動機の多くは「都合が悪くなったから」とか「小金が手に入るから」というもので、普通それだけでは殺しにまで結びつかない。
発覚のリスクを考えればどう考えても割に合わない動機で、いとも簡単に多数の人間を殺している。
本人の言によれば、その数三十人以上。
長期間にわたってそれだけの連続殺人が可能であったのは、これも本人の表現を借りれば「ボディーを透明にする」という死体損壊・遺棄の手法による。
気分が悪くなるので詳しくは書かないが、独特の言い回しからだけでも不気味な印象は伝わってくると思う。
殺人が発覚するのは死体を残すからであり、死体を埋めたりせずに完全に消滅させれば「行方不明」に過ぎず、罪には問われない――
そんな一見バカバカしくも思える関根の「信念」は、実際にはかなり有効で、捜査当局をさんざん手こずらせた。
共犯者の自供からようやく逮捕に至ったが、本当のところ何人殺してきたのかは明らかではない。
関根は「自分はいつでも人を殺せ、決して捕まることはない」という強烈な自信を持っており、「透明にする」という恫喝で周囲の徐々に馴らして共犯者に仕立て上げた。
その中の一人が、今回紹介するノンフィクション・ノベルの著者である。
●「共犯者」山崎永幸(新潮社)
●改題文庫版「愛犬家連続殺人事件」志麻永幸(角川文庫)
著者は元々、関根と同業のペット業者だったが、仕事上の成り行きから関りを持つようになり、やがて蟻地獄に引きずり込まれるように死体損壊・遺棄の共犯者にされてしまった人物である。
満期三年の実刑を受けた後、自らの見聞きした事件の全貌を書き綴ったのが本書である。
私は発売当時にこの本を読み、物凄い衝撃を受けていたので、今回の関根元死亡のニュースで「心に刺さるもの」を感じたのだ。
世の中の犯罪には、決して捜査や裁判だけでは明らかにならないものがある。
そこに居合わせた当事者が「語る」からこそ、怪物・関根元の闇の一端が、白日の下に引きずり出されることになったのだ。
著者は実刑を受けた共犯者ではあるけれども、事件当時、他の選択肢があったかどうかについて、他人がとやかく言うことははばかられる。
「人間の死は、生まれた時から決まっていると思っている奴もいるが、違う。それはこの関根元が決めるんだ」
「お前もこうなりたいか」
「子供は元気か」
「元気が何より」
このような言葉を口にし、平然と実行して見せる怪物と対面した時、どれほどの人間が犯罪に引きずり込まれずにいられるだろうか。
もっと深みにはまり、さらに重大な犯罪に手を染めさせられたり、「透明」にされてしまう危険性も十分にあったのだ。
著者が生還しただけでなく、警察に関根の身柄を拘束させるよう立ち回ることができたのも、「語ること」ができるだけの視線を持っていたせいではないかと感じる。
もしそこに著者がいなかったとしたら、関根はその後も長く野放しになり、犠牲者は増えていただろうし、事件の全貌が書き残されることもなかっただろう。
本書は関根元という「人間の形をした地獄」を詳述する一冊であるとともに、自分や家族を守り切りながらその地獄を潜り抜けた男の、サバイバル・ノンフィクションでもあるのだ。
本物の地獄を垣間見る覚悟のある者にだけ勧められる、凄まじい一冊である。
2017年05月07日
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