幾人か終生の友人も得たし、勉強以外のところで気にかけてくださる先生もいた。
毎年のように留年の危機を繰り返していたが、結局はダブらずに「出所」でき、おまけに大学受験も美術系に切り替えて現役合格できたのだから、これであれこれ恨み言を述べては罰が当たるだろう。
教育学部系の美術科に進学した私は、気が付いてみればまた「山の近く」に通学していた。
私は幼い頃の原風景の影響からか、「背後に山を控える」というイメージに馴染みやすいようだ。
志望にあたって、学校の立地条件はとくに考慮していなかったはずだが、もしかしたら無意識のうちにそうした環境を求めていた所はあるかもしれない。
学部は山の麓から中腹までのエリアに散在していたので、私は毎日のように軽い「山登り」をすることになった。
基本的には都市部なのだが、斜面地に建てられているので校内には良い感じで樹林や藪が食い込んでいて、「山の中の学校」という要素も両立していた。
すぐ近くに登山口もあり、気が向けば空き時間に本当に登山してくることもできた。
私の学生生活はほぼ90年代初頭と重なっている。
当時は震災もテロ事件も経ておらず、バブルの残り香もあって、世相は今からは考えられないほどユルかった。
大学構内は治外法権みたいな気風がまだまだ強く、多くの学生サークルが、昼となく夜となくきわめてルーズに「好き放題」をやっていた。
私はこれまでにも何度か書いてきた演劇サークルとともに、文芸系のサークルに顔を出していた。
演劇の方は公演ごとの外人傭兵みたいな感じだったので、普段はむしろ文芸系サークルがメインだった。
そちらの部室がまた怪しかった。
いくつかのサークルが共用していたその建物、元々は食堂と簡易宿泊用の建物だったようなのだが老朽化で部室用に下げ渡されたような経緯があったらしい。
見た目は完全に「廃屋」だった。
部外者には妖気が漂って見えたらしく、「お化け屋敷」とも呼ばれていたが、まあ「住めば都」である。
部室には、建物にふさわしい一風変わった先輩方が何人もいた。
文芸系とはいいながら、学部も趣味嗜好もバラバラで、同人誌も出せば8o映画も撮り、あちこち引っ張り回してもらった私はたちまち感化された。
サークルには何人か「散歩好き」の先輩がいた。
学校周辺は観光都市、工業地帯、下町、歴史民俗、自然環境がごちゃ混ぜになっていて、散歩のし甲斐がある地域だった。
面白い散歩エリアを、話の分かりそうな後輩に教えていく「伝統」みたいなものがあったのではないかと思う。
私は先輩や後輩と連れ立ったり、または一人で飽きずにあちこち歩き回った。
とくに夜の散歩は刺激的だった。
少し登って見晴らせば、夜景は素晴らしかった。
沿岸部の工業地帯は夜通しゴンゴンと稼働して、機械の集合体のようなエリアはまるで生き物のようだった。
細い路地を選んで歩いているといきなり古い神社に出て、黒々と天を突くような楠の大木に出くわした。
散歩を楽しむには、散歩道にある面白い風景を、ちゃんと面白いと感じるセンスと、やっぱりある程度の体力が必要だ。
散歩に必要な体力は物凄くシンプルで、「一日中ほっつき歩いていられるか?」ということに尽きる。
それはスポーツ的な体力とはまた違う。
私は高校時代、サボりながらも剣道部所属で、心肺能力などのスポーツ的な意味での体力は、その頃がピークだっただろう。
それでも、一日中歩いているのは無理だった。
朝から夕方まで歩き回ってわりと平気になったのは、大学時代にさんざん散歩をやるようになってからだったと思う。
散歩ルートに恵まれた学校の立地。
伝授された散歩センス。
一日中ほっつき歩いても平気な散歩体力。
それとは意識しないうちに、私の中に「遍路」に向けた要素が蓄積されていった。
(続く)