カテゴリ:サブカルチャー
色々作ってみてあらためて驚くのは、MSという世界観の枠内で、本当に個性的なメカの数々がデザインされていると言うことだ。
ガンダムはその後も続編が制作され続け、数えきれないほどのMSデザインが生まれて現在に至るが、基本的なフォルムは第一作でほぼ出尽くしていると言っても過言ではない。
これは、MSのデザインワークが最初期の企画段階から「共同作業」であったことに依るところが大きいだろう。
通常「ガンダムのMSデザイン=大河原邦男」と言う風に紹介されがちだが、実際はそれほど単純ではない。
第一作の場合、監督の富野由悠季、キャラクターデザインの安彦良和が、MSデザインで果たした役割も大きい。
ジオンの一連の水陸両用MSや、人型ではないMA(モビルアーマー)の多くは、富野監督のラフスケッチが元になっていることは、よく知られている。
一部公開されたものを見てみると、ゴッグやゾック、ゲルググ、ギャン、ジオング、エルメス、ビグロ、ビグザム等は、ほとんどラフの段階で基本構成は出来ており、そのスケッチを元に、立体物としての整合性を大河原邦男が整え、アニメで動かしやすいよう安彦良和が最終調整するという流れがあったようだ。
中にはアニメ本編には登場せず、後にプラモでだけ発売された水陸両用MSのスケッチもある。
富野原案のメカは有態に言えば「変」なのが多いのだが(笑)、結果的にはMSの世界観に広がりをもたせているのが興味深い。
ドムくらいまでの大河原邦男がきっちりまとめたMSデザインだけでも、ストーリー上の必要最小限はクリアーできていただろうけれども、現在に至るまでリファインが繰り返される「素材」としての拡張性は持てなかっただろう。
絵画でもなんでもそうだが、作品は鑑賞者の中で完成するのであって、作り手側であまりタイトに「描き尽し」てしまうと、受け手の感受性の入りこむ余地がなくなる。
富野監督はそのあたりの「間合い」の手練れで、ガンダムに限らず作品内に敢えて「こなれの悪さ」「未完成」「不協和音」「余白部分」を盛り込んでいると見受けられることが多々ある。
受け手が後々まで語り続けたり、創意工夫を誘発されたりする魅力の一端が、そこにあるのではないかと思う。
以下で、ファーストガンダム登場の「変なメカ」の中でもとくに人気の高い、ジオンの水陸両用MSの旧キットを紹介してみよう。
(続く)