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2017年09月16日

世紀末サブカルチャー3

 90年代の世相やサブカルチャーを特徴づける要素はいくつかあり、もちろん「世紀末感覚」はその中の(やや盛りを過ぎた)一つだったと思う。
 当時の私の関心の範囲内でもう一つ上げるとするなら、それは「虚構と現実の融合」というテーマだ。
 いくつかの分野で、フィクションとリアル、夢と現実の壁を突き崩すムーブメントが進行しており、それはサブカルチャーとしても極めて刺激的だった。

 まず、最もわかりやすく「虚構の現実化」が行われたのが、プロレス・格闘技の分野だった。
 当時の状況については、何度か記事にしてきたことがある。

 祭をさがして8

 この分野では既に70年代から、梶原一騎原作のマンガの「現実化」が試みられていた。
 フルコンタクト系の空手団体はマンガによる達人伝で入門者を増やしていたし、プロレス団体は漫画の主人公であるマスクマンを実際に登場させ、異種格闘技戦を行うことで競技の壁を崩しつつあった。
 80年代には格闘技色の強いプロレス団体が旗揚げし、競技としての「総合格闘技」も誕生し始めていた。
 そして90年代も半ばに入ると、「ノールールで闘ったら、どの格闘技の誰が一番強いのか」を決める大会が、世界規模で開催される時代が到来してしまったのである。
 こうした試合の場は、それまでマンガか、せいぜいプロレスの世界にしか存在しなかったのだが、「素手のタイマン最強」を実測する大会が継続的に開催されるに至り、完全に立場は逆転した。
 それまでは「マンガの世界の現実化」に、プロレスや格闘技の団体、ファンが夢を託していた構図が裏返り、むしろマンガの世界が現実の後追いを始めたのである。
 90年代当時人気だった格闘技マンガは以下の二作。


●「修羅の門」川原正敏
 87〜96年、月刊マガジン連載。
●「グラップラー刃牙」板垣恵介
 91〜99年、週刊少年チャンピオン連載。

 どちらも連載前半はマンガ先行で「最強」に関する思考実験が行われていたのだが、途中からは現実の試合で登場した選手のキャラクターや局面が作品に反映され、「現実先行」「マンガによる現実の絵解き」が頻発するようになっていった。
 実測の場が出現したことはプロレスや格闘技の団体にとってもショックが大きく、それまで「実戦」や「最強」を標榜してきた団体の中には、その舞台で結果を出せずに失速していくものも多数あった。
 90年代に始まったフリーファイトの分野は、その後は安全性の強化、ルールの整備が進み、2010年代の現在は完全にスポーツとして確立した。
 衆目環視の中で「ノールールのタイマン最強決定戦」が行われたのは、今となっては90年代半ばに限定された特異現象であったということになるのである。

 SFの分野では、筒井康隆の活動が目立っていた。
 筒井康隆はキャリアのかなり早い時期から虚構と現実、夢と現実の狭間を突き崩す作品を執筆していたが、90年代は作品、行跡ともにかなり先鋭化していたのではないかと思う。
 当時の主なトピックを挙げてみよう。


●「文学部唯野教授」90年
●「朝のガスパール」92年
●「パプリカ」93年
 同年「断筆宣言」がなされ、95年には阪神淡路大震災に被災。
 断筆が解除された97年まで作品発表はなかったが、小説以外での活動は活発で、虚構と現実の融合という視点に立てば重要な期間だったのではないかと思う。
 とくに「パプリカ」は、夢テーマでもあり、個人的に筒井作品の中で一番好きだ。

 90年代は作家やマンガ家、左右の思想家の、自身の顔を晒しながら言論活動が盛んな時期だった。
 TVの「朝生」の全盛期と重なっており、「朝生文化人」という言葉も生まれて言論のキャラクター化、虚構と現実の融合が進行していた。
 当時私がよく読んでいた「週刊SPA!」連載の二作品については、以前にも紹介したことがある。

●「ゴーマニズム宣言」小林よしのり
●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男

 以上のような世相やサブカルチャーの状況、現実と虚構の融合の在り方をふり返ってみると、95年のカルト教団によるテロ事件の読み解き方のヒントも、見えてくる気がするのである。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする
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