地味な「神仏与太話ブログ」の中では、検索などで比較的読まれているらしく、以前動画サイトにアップした「死出のブルース」も再生回数はぼちぼち伸びている。
続いて「地獄」の絵解きに進むつもりだったのだが、諸事情で手を付けられないままに、時間だけが過ぎてしまっている。
いずれ出発する予定の「地獄ツアー」の準備の一つとして、「あの世」や「生まれ変わり」についての雑想を、覚書として書き留めておきたいと思う。
今年の秋のお彼岸の中日も過ぎようとしている。
お盆や正月と並び、お彼岸は「あの世」について、なんとなく考える時期だ。
とくに熱心な信仰を持っていなくとも、日本人はぼんやりとした「あの世」のイメージは持っている。
最近はそうでもないが、以前はアニメ「サザエさん」にも、たまにあの世のイメージが描かれることがあった。
波平と同じ顔をした「ご先祖さま」が、墓石や床の間にポワンと姿を現すシーンを記憶している人は多いのではないだろうか。
あの雰囲気が日本人の思い描く「あの世」の、一つの典型を示しているのかもしれない。
もう少しイメージスケッチを続けてみよう。
亡くなった人の魂は、消滅することなく死出の旅路に入り、あの世へ行く。
行きっぱなしではなく、盆と正月には家に帰ってくるし、それ以外の時でも仏壇やお墓を通して信可能だ。
あの世がどこにあるのか、誰もはっきりとは知らない。
山里ならお山の向こう、海辺なら海の彼方など、自分の思い入れの深い故郷の自然の「向こう」にあるらしいと、なんとなく受け止められている。
あの世はさほどこの世と変わらないが、やや苦労が少なく、お花に包まれた美しい所だ。
地獄や極楽はもちろんお話としては知っているが、自分や身内の死後、あまり「大層な」世界に行くとは考えにくい。
よほどの悪人や飛び抜けた善人でない限り、大多数の人は死後「ほどほどに善いところ」に行き、のんびり暮らす。
ただ、生前の行状により、「あの世」に至れるまでの期間には個人差が出る。
行いの良くなかった者や、弔ってもらえない者、この世に執着を残した者などは、道に迷って到着に時間がかかる。
そしてあの世に行った人は、いずれまたこの世に、たいていは子孫の誰かとして生まれ変わる……
おおよそこんな感じの死生観を「なんとなく」描いている人は現代でも数多いだろう。
似たような死生観は、世界中のアニミズム信仰で見られるので、日本人は仏教などの外来宗教を受け入れながらも、わりと古層の信仰を保ってきたのかもしれない。
故郷の自然や親類縁者に囲まれていれば、死後の不安は相対的には少なくて済んだ。
地縁血縁が残っていれば、いずれまたこの地に生まれ変わってくることができる。
ところがその大前提が危機に瀕したことが日本史上何度かあった。
たとえば中世の戦乱の時代だ。
度重なる戦や飢饉で弔いきれない膨大な死者が出、里は荒れ果て、生き抜くためにやむなく罪を重ねる人が増えた。
経済構造が変化し、自然から切り離された都市住民も激増した。
古来の「あの世」観ではフォローしきれない、死後に不安を感じる膨大な人口が出現した。
そのニーズにうまく合ったのが、一つには阿弥陀如来の西方極楽浄土だったのだろう。
かの浄土はこの世の地理条件に縛られず、信じる者全てに解放されていた。
故郷を遠く離れても、身寄りがなくても、罪を犯した悪人でも、阿弥陀様と向き合う自分の心次第で極楽に行くことができる。
難行苦行は必要なく、ただ心を込めてその名をお呼びすれば、必ず手を差し伸べてくれる。
今生きているこの世が地獄そのものの戦乱の時代にあって、浄土信仰が爆発的に広まったのは当然の成り行きだったのだろう。
そして乱世が終り、人々が再び故郷に定着し、地縁血縁に囲まれるようになってからの浄土信仰は、じわじわ古層の「あの世」と習合し、見分けがつかないものになっていった。
古い形の「あの世」がなんとなく了解されている時代というのは、ある意味平和で恵まれた時代なのかもしれず、それはそれで一つの在り方だ。
(続く)