なにげなくTVに視線をおくると、ドラえもんの「バイバイン」の回だった。
子供の頃読んだマンガ版の記憶がよみがえってくる。
大好きなおやつのくりまんじゅうを惜しんだのび太が、ドラえもんに「バイバイン」という薬剤を出してもらう。
食べ物に一滴かけると、五分後に二倍に増えるという秘密道具である。
一個が二個、二個が四個、四個が八個の倍々ゲームの仕組みになっていて、最初は喜んで何個か残しながら楽しんでいたのび太。
しかしそのうち食べきれなくなり、くりまんじゅうはあっという間に家に溢れ……
という恐怖のエピソードで、子供心に「倍々は恐ろしい」と強く印象に残った。
最後は膨大な量のくりまんじゅうを巨大な風呂敷詰めにし、ロケットで宇宙に追放するというオチだったが、小学校低学年の私は全然すっきりしなかった。
いくら宇宙が広いとは言え、いつか全宇宙がくりまんじゅうで埋め尽くされる日が来るのではないか?
そしてそこまで行くのに、そんなに時間はかからないのではないか?
破滅の時がくるとして、その五分前まで、まだくりまんじゅうは宇宙の半分しかないのだ。
いまがその五分前でないと、誰が言いきれるだろう?
言葉にするとそんな恐ろしさを感じていたのだ。
ドラえもんに限らず、藤子不二雄両先生のマンガには時々「怖い」ものが紛れ込んでいた。
F先生は、私が生まれてはじめて認識した「好きな作家」だった。
小学一年生の頃、確か風邪で休んでいたときに、親が小学舘の学習雑誌「小学一年生」を買ってきてくれた。
そこではじめて「ドラえもん」を読み、ハマってしまったのだ。
確か付録の小冊子がドラえもん特集で、藤子不二雄先生が二人コンビであることや、ドラえもん創作の秘密、漫画の絵の描き方などが解説されていたと思う。
私がかなり意識的に絵を描き始めたのも、その小冊子の解説あたりがきっかけかもしれない。
解説を読み込み、鉛筆で下描きし、ペン入れのまねごとなども楽しんだ。
写経的な練習法を開始したのもその頃のはずで、ドラえもんの好きなエピソード丸ごと筆写した記憶もある。
今思うと一枚ずつの絵ではなく、マンガのエピソード丸ごとの筆写を続けていたら、私はもっとマンガが描けていたかもしれない。
一枚絵とマンガは全くの別物だということに、当時はまだ気づいていなかった。
懐かしの小学館の学習雑誌は、今は少子化の影響で学年別ではなくなったようだ。
現行統合誌「小学8年生」は、最近某首相の爆笑紹介漫画で話題になった。
小学低学年の頃、ドラえもんからはじまってF先生(当時はあくまで藤子不二雄先生だったが)の作品を色々読み漁っていた。
中でも特に好きだったのが、「モジャ公」だった。
作品としてはかなりマイナーな部類に入ると思うが、SF作家としてのF先生の持ち味が遺憾なく発揮されている。
知的でクールで、ユーモアを基調としながら、恐怖もあり、哲学的命題も含まれる。
ラストエピソードでは「終末」「カルト教祖」も扱われている。
マンガではあるが、極上の児童文学でもある。
これを読み込んで「面白い」と感じ取れた子供時代の自分を、褒めてあげたいのだ。
2017年10月13日
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