それからは、頻繁に視力検査と矯正訓練が繰り返されるようになった。
何しろ幼児のことなので、検査する方も大変だったと思う。
左右の区別もあやうい年齢なので、視力検査票の輪っかマークの欠けている方向は、一々手に持ったマークで再現させなければならない。
今は幼児向けの検査方法も進歩して、あの欠けた輪っかマークをドーナツに見立て、周囲に動物などのキャラクターを配して「ドーナツたべたのだあれ?」という質問形式になっているようだが、約四十年前にはまだそんな工夫はなかった。
それでも小さい子の集中力はそんなに長く続かないので、うまくおだてながら進めなければならないのは、今も昔も変わらないだろう。
大人になった今の私は、幼児向けのお絵かき指導の機会があるたびに、小さい頃対応してくれた眼科の先生方のことを思い出すのだ。
検査と訓練の過程で、幼い私はある「技」を習得していった。
視力検査表を、実際に見えている以上に読み取ることができるようになったのだ。
度重なる検査に飽き飽きしていた幼い私は、さっさと段取りを終わらせたいという思いや、少しでも現状を楽しもうという思い、「いい結果が出ると周りの大人たちが喜ぶ」という観察から、鮮明には見えていない検査表のマークを推測で読み取る技術を、なんの悪気もなく密かに磨き続けていたのだ。
具体的には、鮮明に見えているマークを焦点をぼかすことによって「ぼんやりとしたシルエット」に変換し、その印象と比較検討することによって小さくて見えにくいマークを読み取り、また検査表全体のマークの配置具合などからも総合的に判断する、というものである。
言葉で説明するとものすごく難しそうに感じるかもしれないが、幼い子供はこのような「ゲーム」には驚くべき能力を発揮することがあるものだ。
視力検査というのはあくまで「視力の実態」を知るためのものだというような大人の常識は、幼児には通用しない。
当時の私にとって、視力検査は完全に「高得点を上げるためのゲーム」と化しており、頭を高速回転させながら、実際より少しずつカサ上げされた検査結果を生み出していたのではないだろうか。
幼い頃身につけたこの「技」は、けっこう習い性になってしまっている。
数年前、久々の視力検査を受けたとき、無意識のうちに「技」を使ってしまっている自分に気づき、内心で苦笑した。
(あかんあかん! ゲームと違うんやから普通にせなあかんがな!)
以後は普通に見えるものは見えるといい、見えないものは見えないと答えた。
受診時の検査は眼科の皆さんの手練でなんとかクリアーできるとして、日常的な矯正訓練にはもう少し「本人が積極的にとりくむ」要素が必要になる。
とくに幼児の場合は「楽しさ」が無いとなかなか続かない。
私の場合、「お絵かき」が取り入れられた。
(続く)