今でも覚えているのは、塗り絵などの線画にトレシングペーパーをかぶせ、上からなぞっていくというもので、これは今考えると、お手本の上に半紙をかぶせてお経や仏画を書き写す「写経」「写仏」の稽古そのものだ(笑)
がんばって描くとほめてもらえるのがうれしくて、この訓練はわりと好きだった。
単なる「なぞり書き」と侮るなかれ、あらゆる表現はモノマネから始まる。
お手本をトレスして完成された線を体感するのは、絶好のスタートダッシュになるのだ。
幼児の頃の「得意」は、要するに「自分で好きでやっている」回数とイコールだ。
私は四才から保育園に通っていたが、同年代の中では(実際大した差はないのだが)「絵がじょうず」ということになり、その体験が、はるかに時が流れた現在につながっている。
卵と鶏のように因果関係は微妙だが、弱視であったことが「絵描き」の私を作ったということもできるのだ。
左右の視力にアンバランスがあり、とくに右目の訓練が必要だったので、視える方の左眼に「アイパッチ」を貼ることもあった。
眼鏡をかけていれば右眼も日常生活に不自由はない程度には視えていたので、できれば普段からなるべくアイパッチ使用を勧められた。
しかしさすがに幼児にとってはストレスが大きく、嫌がってあまり貼らなかったと記憶している。
このアイパッチによる矯正訓練は今でも行われているようだ。
子供向けの絵画指導をしていると、たまに片目に貼っている子を担当する機会がある。
(無理のない程度にがんばれ!)
そんな風に心の中でエールを送っている。
視力矯正が始まった幼児の頃から、母親はよく駅前市場で鶏の肝焼きを買ってくるようになった。
これを食べると目にいいからと勧められるうちに、あの香ばしくほろ苦い味が好きになった。
肝が目に良いというのは民間療法で昔から言われてきたことだと思う。
数年前、雑賀衆に関する本を色々漁っている時、神坂次郎の小説の中に「雑賀衆が夜目遠目を効かせるために、地元の魚の肝を食べている」という描写を見つけたことがある。
「へ〜、やっぱり肝って眼にいいのか?」と、昔を思い出したものだ。
ビタミン類の補給などで、それなりに科学的根拠はあるのだろう。
私が幼い頃、眼鏡をかけている子は非常に少なかった。
通っていた保育園、幼稚園では他に見かけなかったし、もっと同級生の増えた小学校でも、入学当初は学年に何人もいなかったと記憶している。
小学生時代は、今のようにスマホは無かったが、TVもマンガもゲームも、視力を消耗するホビーは既に人気だった。
そして学年が進んで学習時間が増えるとともに、徐々に近視で眼鏡をかける子は増えていったが、幼児の頃から弱視が原因で眼鏡をかける子は、今よりもっと少なかったはずだ。
これは「時代と共に弱視の子が増えている」というより、検査法の発達により、早期発見のケースが増えたためではないかと思う。
全ての年齢層で眼鏡をかけている人が増え、日常生活の中で接する機会が多くなると、「眼鏡は数ある個性の中の一つ」としいう認識が定着する。
今はもう、大人も子供も眼鏡をかけているからと言って特別視されることは少ないだろう。
しかし私が幼い頃は、まだ認識がそこまで至っておらず、大人にも子供にも珍しがられることが多かった。
もっとはっきり書くと、好奇の目で見られ、バカにされることがけっこうあった。
(続く)