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2017年11月28日

黒い本棚3

 完全なる「作り話」であることを、作者も読者も了解した上で、それでも「怖い」と感じさせるのは、表現としてかなり高度だ。
 前回記事で紹介した、実録テイストの怖さを武器としたつのだじろう作品とは、また別種の恐怖創作技術が必要になってくる。
 マンガの世界で「虚構の恐怖」を描き続けた第一人者には、やはり楳図かずおが挙げられるだろう。
 ただ、私はたまたま「適齢期」に楳図マンガをほとんど読まずに通過してしまい、その魅力に気付いたのはずっと後になってからのことだった。
 それも、「わたしは慎吾」「14歳」などの一連のSF作品から入ったので、それ以前の「恐怖マンガ」に遡ったころには大人になってしまっていた。
 幼児が昆虫の足を引きちぎるような無邪気な残酷さを、そのまま「表現」にまで昇華したような楳図マンガの世界。
 その作風を、子供時代に体感できなかったのは少しもったいなかったと思う。

 そもそも私のマンガ原体験は、手塚治虫や藤子F不二雄のクールなSFから始まったので、怨念や理不尽が渦巻く恐怖マンガの世界には馴染みが無かったということもある。
 それでも子供なりの「怖いもの見たさ」はあったので、コロコロ等の雑誌にたまにのっていた恐怖マンガは、チラ見していた。
 そうした読み切り短編の中には、本当に怖くて今でも記憶に残っているものがある。
 今ネットで調べてみると、やはり当時の子供たちの間で、「伝説」として語りつがれているようだ。
 検索用に以下にメモしておくタイトルと作者名だけでも、「あ! それ知ってる!」と、あの頃の恐怖がよみがえってくる人は多いだろう。

●「蛙少年ガマのたたり」よしかわ進
●「地獄の招待状」槇村ただし

 私が恐怖マンガをがっつり読み始めたのは、たぶん中学生になってからのことだった。
 70年代から80年代にかけては、書店の本棚に並ぶマンガ本にはまだビニールがかけられておらず、子供はよく立ち読みしていた。
 お店の人にとっては迷惑だったと思うが、立ち読み体験から顧客が生まれる効果も確実にあり、ある程度は黙認してもらえた。
 そんな書店のマンガコーナーの一画に、背表紙が真っ黒のマンガが並んだ、文字通りの「黒い本棚」があった。
 怪奇・恐怖マンガばかりのシリーズを出版していた、これも伝説の「ひばり書房」の棚である。
 完全なフィクションの恐怖マンガで、当時の私がわりにリアルタイムで読み耽ったのが、日野日出志の作品だった。
 日野日出志は1946年、満州生れ。67年「COM」でデビューし、独特の強烈な画風、作風で、カルト的な人気を誇った。
 以下にいくつかの私が好きな作品と、現時点で比較的入手し易い版を紹介してみよう。

 私が最初に手に取ったのは、おそらく「地獄小僧」あたりだったはずだ。


●「地獄小僧」76年作。
 今から考えると、初期日野日出志作品の中ではかなりエンタメ寄りだったのだが、絵もストーリーも「らしさ」が存分に盛り込まれていた。
 一度見たら絶対に忘れられないあのキャラクターの造形に、私は完膚なきまでに叩きのめされた。
 いかにもマンガチックでシンプルな絵柄でありながら、モノクロ印刷の紙面から腐臭が漂い、血膿が滴り落ちてくるようだった。
 蒸せかえるような酸鼻に、何度もページから目を反らし、本を閉じながらも、ついつい続きを読んでしまう。
 そして、グロテスクの血肉の饗宴の果て、結晶した一かけらの抒情に呆然と立ち尽くす……
 そんなファーストコンタクトで日野日出志に魅入られて、中学生だった私は同じ「黒い本棚」に並ぶ過去の作品にも手を伸ばすようになった。
 とくに1970年前後の作品が凄まじかった。
 デビュー後の日野日出志が作風を確立するために身を削るような創作活動をしていた時期にあたり、多くの鬼気迫る短編が制作されていた。
 中でも特筆すべきは、以下の二作だ。


●「蔵六の奇病」70年、短編。
 初期の最高傑作。
 スタイルに悩み、迷いながら、何度も描き直し、約40ページに一年かけ、開眼したという。


●「地獄の子守唄」70年、短編。
 怪奇漫画家・日野日出志が主人公として登場するメタフィクション。
 もちろん「事実を描いた自伝」ではないが、冗談めかした語り口に「内的真実」が塗りこめられているであろうことは、その異様な迫力から伝わってきた。
 フィクションの仮面を被ることでだけ、吐露できる心情というものがあるのだ。
 同タイトルの短編集が日野日出志初の単行本として刊行されていて、収録作全てがいずれ劣らぬ傑作。
 音楽のジャンルではよく「ファースト盤がベスト盤」というケースが見られるが、それと似た雰囲気の漂う初単行本である。

 そして80年代初頭、ちょうど私がファーストコンタクトを果たした頃が、日野日出志の第二の作家的ピークにあたっていた。


●「地獄変」82年
 主人公は作者自身を投影したと思しき地獄絵師で、先に紹介した短編「地獄の子守唄」を元に、単行本一冊分の組曲として展開したような作品。
 狂気と怨念の濃度はそのままに、キャリアを積んだ分だけ筆致は磨き抜かれ、自身の「血」と真っ向から切り結んだ大作である。
 この作品も事実関係としての「自伝」ではあり得ないが、表現者が自分を極限まで追い込み、精神の深淵を覗き込んだ時だけに描ける「真実」がここにはある。
●「紅い蛇」83年
 前作「地獄変」完結後の余韻の中で、なおくすぶり続ける創作衝動を作品化したという、「家」がテーマの一冊。
 逃れられない家、逃れられない家族、永遠に循環し続ける悪夢。

 さんざん読み耽ったこれらの作品は、中学生当時ついに一冊も購入せず、行きつけだった本屋さんには大変申し訳ないのだが、全て立ち読みだった。(その代わり他の本はよく買っていた)
 正確に書けば、「買わなかった」というより「買えなかった」のだ。
 たまらなく心惹かれるくせに、自分の部屋の中に日野日出志のあの絵があるということ自体が「生理的にムリ!」という、二つの相反する感情が、当時の私の心の中で渦巻いていて、結局手元には置けなかった。
 後で聞くと、二つ年下の弟も同じような理由で何度も立ち読みしながら、ついに買えなかったそうだ。
 おそらく日野日出志には、こうした「読みたいけど買えなかった」ファンが膨大にいるはずだ。

 疎外された魂の怨念、呪詛。
 綺麗事では決して癒されない暗い感情。
 日野日出志の作品は、そんな部分を抱えた者にとって、まさに「地獄の子守唄」として響く。
 私が日野日出志の本を購入し、手元に置けるだけのキャパシティを手に入れたのは、愛蔵版が刊行され始めた90年代になってからのことだった。
(続く)
posted by 九郎 at 23:59| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする
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