2017年11月29日

黒い本棚4

 80年代も半ばになると、純然たるエンタメ作品に「恐怖」や「オカルト」の要素が盛り込まれることが一般化してきた。
 それまでにも「恐怖」や「怪奇」をテーマとした作品は多くあったが、あくまでそうしたジャンル内でのことだった。
 メジャー誌の王道バトルマンガで、真正面からオカルトを扱ったヒット作の代表が、荻野真「孔雀王」になるだろう。


●「孔雀王」85〜89年、週刊ヤングジャンプ連載。
 光と闇の壮大な最終決戦を、サイキックバトルの形式で描くという点では「幻魔大戦」「デビルマン」あたりから続く定番とも言えるが、主人公が密教僧で、敵役も全て何らかの秘教的修法を行使するという点に目新しさがあった。
 ただ、先行するエンタメ伝奇小説のジャンルでは既に同じ手法のヒット作はあり、とくに夢枕獏「魔獣狩り」シリーズとは設定に類似点があり、盗用問題に発展した経緯もあるという。
 それでもマンガで密教をやった例として嚆矢にあたることは確かで、雑誌デビュー作にして潜在的なニーズをよくとらえ、長編化した荻野真の功績は大きい。
 私も当時、読み切り形式の第一回からチェックしていて、「そうそう、こういうのが読みたかった!」と驚喜したのを覚えている。
 週刊連載マンガというものは、サブカルチャーの中でもとくに周縁部にあたる。
 山で言えば裾野、川で言えば下流の河口付近だ。
 密教、高野山、空海といったテーマの再評価は、70年代には既に始まっていたが、そうした機運がサブカルチャーの末端部分にまで行き渡ったのが80年代半ばであったということもできるだろう。
 一話完結方式の序盤を通過し、連載が軌道に乗ると、物語は主人公・孔雀の出征の秘密と絡めながら、壮大な長編として成長していく。
 週刊連載マンガ的な「後付け」「出たとこ勝負」「火事場のクソ力」で、設定にややノイズを生じながらも、そうした矛盾はかえって物語の推進力になっていく。
 密教だけでなく、世界各国の秘教的修法を貪婪に吞み込み、80年代オカルトほぼ全部盛り状態にまで風呂敷は広がっていく。
 連載中に絵も飛躍的に進化していく。
 極少数の、若く勢いのあるマンガ家だけに生じるマジックが、作品を加速していったのだ。
 そして、ハードな最終戦争を描きながら、最後は金胎両界曼荼羅の世界観にねじ伏せ、「破滅」で終わらせなかった力技は、見事という他なかった。
 マンガ家の素養、時代の空気、そしておそらく編集やスタッフの支援体制にも恵まれた、幸せな作品だったのではないかと思う。

 この「孔雀王」の影に隠れがちだが、ほぼ同時期に、よく似たテーマを扱った月刊少年誌掲載のマンガ作品もあった。
 決してどちらかがどちらかのパクリという意味ではなく、そうした作品が求められる機運があったのだ。


●菊池としを「蓮華伝説アスラ」85〜87年、マガジンSPECIAL連載。
 この作品、テーマが近似しているだけでなく、作者の年齢も近く、連載デビュー作であることも共通している。
 迫力のある絵で私はかなり好きだったのだが、展開はやや迷走気味で、「ちょっと噛み合ってなくてもったいないなあ」などと、生意気な感想を持っていたことを覚えている。
 結局雑誌連載分では完結せず、単行本の加筆ページで「真のラスト」が描かれるという流れだったはずだ。
 決してうまくまとまってはいなかったが、良いセンスを持った若いマンガ家が、思い入れを持って孤軍奮闘している印象があり、記憶に残る作品だった。
 作者は後に「霊言」で有名な新新宗教に入信し、作品の末尾には参考文献として教団刊行の書名が並ぶようになった。
 表現者がどんな信仰を持とうと、それ自体は批判すべきではない。
 ただ、この作者の場合、入信以降の作品は「結論ありき」の印象が強く、私の好みからは外れた。
 私はやっぱり悩み苦しみながら描き、少々破綻していても、描きながら何かをつかみ取るような作品が好きなのだ。


 最初の「孔雀王」が完結した後、別作品の連載をはさみながら、90年代に入って続編が開始された。


●「孔雀王 退魔聖伝」90〜92年、週刊ヤングジャンプ連載。

 時間軸としては一応、第一シリーズの後ということになっていたはずで、初期の雰囲気を再現するような短編連作退魔行の形でスタートした。
 物語は徐々に孔雀の属する裏高野と日本の太古の神々の戦いの構図へとシフトして行き、孔雀がスサノオの力を受け継ぐものとして再出発する所で突然連載は終了した。
 リアルタイムで読みながら奇異な印象を受ける中断だったが、これは打ち切りではなく、作者の意志によるものであったらしい。
 80年代の最初のシリーズは、当時のオカルトのフルコースのような贅沢さだったが、実は手薄な領域というのもあった。
 日本の神道、古神道がそうだ。
 90年代の「退魔聖伝」ではそれを補完しようと意図しながら、うまく接ぎ木できずに筆を置いたということらしい。
 今思うと、神仏習合は真言密教のようにすっきり整理された世界観を持たないので、作品の背景とするのは困難だったのだろうなと感じる。
 90年代初頭というのは、古神道関連の手頃な書籍もまだ出揃っていなかったのではないだろうか。
 古神道の波が来るのは、だいたい密教ブームが一段落した後で、密教的な概念を一度通過しないと、読む側の理解が追い付かないという面もあると思う。

 連載中断中、古神道を一つのモチーフとした「夜叉鴉」等の執筆をはさんだ後、2000年代に入ってようやく「退魔聖伝」の続きの連載が始まった。


●「孔雀王 曲神紀」06〜10年、週刊ヤングジャンプ、月刊ヤングジャンプ連載。

 当時の私は既にこのブログをスタートしており、期待感を込めてオリジナル画像付きの記事で紹介したが、このシリーズも「めでたく完結」とは行かなかったようだ。

myo-01.png


 そして現在、「孔雀王」は掲載誌を代え、何度も仕切り直しながら描き継がれている。


●「孔雀王ライジング」12年〜、月刊スピリッツ連載。
●「孔雀王 戦国転生」12年〜、戦国武将列伝、コミック乱連載。

 90年代以降の「孔雀王」は、決して80年代の最初のシリーズのようにうまくかみ合ってはいない。
 どんなに力のある表現者でも、若い頃描いてしまった一世一代の初期作を超えることは困難だ。
 しかし個人的に、何らかの形で90年代のおとしまえを付けようと足掻く身としては、同時進行で苦闘しているシリーズに対し、勝手に親近感を持ちながらつかず離れずで追い続けている。
 とくに「戦国転生」の、時空を超えて流浪し、素浪人のおっさんみたいになった孔雀が愛しい(笑)

 そんな孔雀との付き合いも、既に三十年を超えた。
 ここまで来たら最後まで見届けるとも!
(続く)
posted by 九郎 at 21:29| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする
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