当時少年だった私は、存分にサブカルを楽しむ年代にあり、同時に月刊雑誌「ムー」の愛読者でもあったので、オカルト分野で「表現者に影響を与えたネタ元」には気付きやすかったのだ。
ここでは、そんな中から代表的な二人を紹介してみたい。
一人目は高藤聡一郎(たかふじ そういちろう)である。
手元の本のプロフィールによると、1948年、東京生まれ。都庁勤めの後、民族文化に興味を持って世界各国を放浪、台湾で中国仙道と出会い、修行を積んだとされる。
帰国後、「気」のコントロールを中心にした仙道の実践法についての著書を多数出版するようになった。
それまで「仙人」と言えば、中国や日本の古典だけに登場する存在であり、文学的な研究対象であった。
高藤総一郎の特色は、現存する「仙人になるための修行法」について、自身の体験を元に現代的な解釈を加え、極めて平易に記述することができる点にあった。
80年代には「ムー」誌上で仙道に関連する「気功」「奇門遁甲」等のテーマについての解説を次々に執筆し、順次書籍化されていった。
後には「夢見」や「チベット」と言ったテーマにまで守備範囲を広げていく。
あくまで在野の研究者、修行者であり、書籍も新書版等の手軽なものばかりだったが、内容はとにかく「リアル」に感じられた。
私はあくまで「読み物」として楽しんでいたので、読み方としては他のサブカル作品とあまり変わらなかったが、実際に独習してみた人も多かったことだろう。
80年代、オカルトテーマのエンタメ作家で、この作者の本を読んでいない人はいなかったのではないかというくらい、影響の広さが見て取れた。
高藤聡一郎の語る仙道の世界観は、様々なフィクションに引用され、孫引きを繰り返された。
今世間一般にも広く受け入れられている「気」「仙道」のイメージは、元を辿ればこの作者の世界観に由来すると言っても過言ではないと思う。
私が今でも手元に残し、読み返すことがあるのは、以下の一冊。
●「秘法! 超能力仙道入門」(学研)
今読み返すと「きれいに整理し過ぎ」という印象があり、もう少し道教文化の猥雑さの要素が欲しい気がするが、それでも十分に面白い。
中国の仙道文化の概説から、個人的な「気」の修行法、そして最後には「道(タオ)」という概念まで行き着く内容は、一読の価値があると思う。
高藤聡一郎の仙道解説が、果たしてどこまで「リアル」であるかについては、様々な意見があるだろう。
その虚実も含め、私は「日本のカルロス・カスタネダ」だと思っている。
もう一人は高橋信次である。
先に紹介した高藤聡一郎は完全な「修行者」タイプであったが、こちらはGLAという新宗教の開祖だ。
宗教・宗派にとらわれない「霊」の在り方、宇宙観の解説は、これも極めて平易で魅力的。
そしてこちらの作者も、著書の多くが手に取りやすい新書版で刊行されていた。
私が今も手元に残しているのは、以下の本。
●「悪霊T」(三宝出版)
人々を悩ます憑霊との対話、説法の様はとてもリアルで迫力があり、読み応えがある。
今現在の私の「霊」に対する捉え方とはかなり隔たりがあるのだが、読み返してみると「ああ、この人は百戦錬磨のカウンセラーだったのだな」と腑に落ちる気がするのである。
この作者自身は70年代半ばに48歳で亡くなったのだが、その世界観は、80年代サブカルで広く引用・孫引きされていった。
そしてあくまで「修行法」を紹介する修行者・高藤総一郎に対し、高橋信次の場合は「より良い生き方」を説く宗教者であったので、引用・孫引きはフィクションの分野に留まらなかった。
現在の新新宗教、スピリチュアル界隈の言説にも、直接間接に高橋信次の影響が強く残っていると感じる。
ここで紹介した二人は、自身の思想・世界観を非常に平易に面白く、しかも求めやすい形で提示できた修行者、宗教家だった。
その言説の魅力は、多くのエンタメ表現者が作品のバックボーンとして使いたくなる水準にあった。
言い換えれば、「思想のサブカル化」の達人であったのではないかと思う。
本章「黒い本棚」でも紹介してきたように、70〜80年代はオカルトや宗教思想が爆発的にサブカルに変換され、消費されていった時代だった。
そして次の段階として、そうしたオカルト・宗教をテーマとしたサブカル作品を享受して育った世代の中から、サブカルを起点として逆に宗教化して行く人物や集団が登場したのではないかと考えている。
そのことについては、また章を改めて覚書にしたい。
(「黒の本棚」の章、了)