本日、絵本作家・加古里子さんの訃報があった。
子供のころから大好きで、大人になってからも「再会」し、感動を新たにした人の死は、やはり悲しい。
加古里子さんについては、今年1月に記事を書いた。
加筆の上、再掲しておきたい。
(以下、2018年1月8日投稿記事に加筆し、再投稿)
先日、TVのニュースで絵本作家・加古里子(かこさとし)先生の新刊紹介があった。
あの「だるまちゃんシリーズ」の最新作が、なんと三冊同時刊行されるという!
●「だるまちゃんとかまどんちゃん」
●「だるまちゃんとはやたちゃん」
●「だるまちゃんとキジムナちゃん」
(いずれも福音館書店)
私は70年代生まれ。
かのシリーズについては、当時刊行されていた初期数冊分は大好きで、小さい頃繰り返し読んでいた。
一般的にはやはり「だるまちゃんとてんぐちゃん」が一番人気だと思う。
●「だるまちゃんとてんぐちゃん」
もちろん私も大好きだったのだが、個人的には「だるまちゃんとかみなりちゃん」がフェイバリットだ。
●「だるまちゃんとかみなりちゃん」
だるまちゃんが連れていかれたかみなりの国の描写が素晴らしい。
パノラマ図で次々と紹介される、「かみなり文明」ともいうべき異世界に圧倒される。
まずテンポの良い詞書にのせられて次々とページを繰っていく楽しみがあり、一通り読み終わると見開きの細部を隅々まで楽しむことで二度美味しいのだ。
大人になって読み返すと、「演出」の妙に唸りつつまた楽しめる、一生ものの一冊である。
幼少の頃、絵本は母親が存分に買い与えてくれて、なかでも加古里子の本は母子ともにお気に入りだった。
母も父も、寝る前にけっこう読み聞かせをしてくれたので、私と二歳下の弟は共に本好きになった。
加古里子の絵本から入って読書の楽しみに目覚めた子供は、たぶん膨大な数になるはずだ。
科学絵本も数多く制作されていたので、小学生になってからも加古里子作品はずっと追っていた。
さすがに中高生以上になると読まなくなっていたが、十年ほど前にまた絵本に興味が出た。
ちょうどその頃、拙いながら絵本の文章パートを書く機会があり、その勉強もかねて書店や図書館を渡り歩くようになった。
絵本コーナーに行ってみると、懐かしい「だるまちゃんシリーズ」や「からすのパンやさん」「どろぼうがっこう」等の作品に、三十年の時を経て、いっぱい続編が制作されていることを知り、驚愕した。
「え! かこ先生って今おいくつ?」
調べてみると、その頃すでに八十歳を超えておられたのだった。
子供の頃はただただ絵本に入り込むばかりだったが、大人になって読み返す加古里子作品には、「繰り出される妙技に酔う」という新たな楽しみがあった。
声に出して読み、ページをめくる。
見開きの絵と詞書の配列が最適かつ簡潔で、次の見開きが目に飛び込んでくる「間」に唸る。
絵本としては文字数多めの作品が多いのだが、構成の上手さで無理なく読めてしまう。
そうした創作技術は、以下の本でかなり詳しく紹介されている。
●「絵本への道」加古里子(福音館書店)
前半は自伝的な構成になっている。
それによると先生は若い頃演劇や紙芝居を経験し、働きながら徐々に絵本の世界に入っていったとのこと。
不特定多数の読者に対する作品を手がける以前に、観客(とくに子供)直接対面する形の表現をやっておられたことが、あの構成の妙を生んだのだなと、あらためて納得できる。
人形劇、紙芝居、絵本、マンガ、それぞれの表現形式違いが事細かに解説してあり、かなり理詰めで制作しておられるのがよく分かる。
絵本に限らずビジュアル表現、とくに紙媒体で作品内に「時間の流れ」がある表現形式を志す人にとっては、必携の一冊ではないだろうか。
* * *
そして今年、九十歳を超えた絵本の哲人・加古里子、新作三冊同時刊行である。
筆致を拝見する限り、ちょっと視力が落ち、視野が狭くなっておられるのかなという気はした。
しかしそれは必ずしもマイナスには働いておらず、ふわりと柔らかな絵の雰囲気に、新たな魅力を感じた。
それぞれの年齢で描ける絵がある、視えない中でも描ける絵があるということは、本当に素晴らしいことだ。
こと「表現」という分野において、「欠損」は必ずしもマイナスではない。
足らざることが個性になり、制約は広がりとなりえる。
死の直前まで現役であり続けた絵本作家に、背筋を正される思いがする。

2018年05月07日
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