2018年01月29日

「剛速球」の思い出

 一月も終わろうとしている。
 年度末へ向け、なんだかんだとやることが多く、日々感じたことも忙しさに押し流されてしまいがちだが、なるべく書き留めておきたい。

 1.17の阪神淡路大震災メモリアルを前に、目にとまったニュースがあった。

――松村邦洋が炊き出しを続ける理由 神戸・長田

 そんなヘッドラインで、タレントの松村邦洋さんの活動を紹介した記事だった。
 熱狂的な阪神ファンで知られる松村さんが、長田区出身の元阪神サウスポー投手との交流をきっかけに、毎年この日に炊き出しイベントをするようになったと言う。
 残念ながらその元投手、安達智次郎さんは2016年、41歳の若さで亡くなってしまったが、今も炊き出しは続けている――

 一読して「あ! あの安達投手がお亡くなりになっていたのか!」と今さら知り、驚いた。
 一軍での登板機会に恵まれなかった投手なので、阪神ファンでも知らない人が多いかもしれないが、私にとっては印象に残る名前だった。
 以下、事実関係に記憶違いもあるかもしれないが、覚えているまま書いてみよう。

 とくに野球ファンというわけでもない私が、安達智次郎さんの存在を偶然知ったのは、90年代初頭、甲子園大会地区予選でのことだった。
 私は当時大学生で、母校の野球部が珍しく二回戦に進出したという話を人づてに聞いた。
 我が母校は、何度か紹介してきた通りの超スパルタ受験校であり、当時の部活は極めて低調。
 野球部もその例にもれず、一回戦敗退、それもコールドゲームが常だったので、その年は「奇跡」が起こったように感じられた
(ああ、あの先生、喜んでるだろうな……)
 噂を聞いた私は、野球部も担当していた英語の先生の顔を思い出した。
 体罰上等のカルト教団じみた私立校だったので、先生に対して親しみを持てるような環境ではなかったが、ごく少数の例外もあった。
 母校出身、新卒で帰ってきたその先生は、高校生の私たちと年齢が近かったし、何より「同じ地獄」を潜り抜けた先輩でもあったのだ。
 受験校なのに美術系志望の変わり種だった私に、授業以外でも声をかけてくれる数少ない先生の内の一人でもあった。
 二回戦が行われるのが、高校の頃よく遊んでいた公園内にある球場で、懐かしさもあって応援に行ってみることにした。
 当日の球場で、件の野球部の先生と出くわした。
「おお、来てくれたんか」
 先生は笑いながら言った。
「今年のチームはちょっとだけ強いんやけどな、今日は相手が悪いわ」
 その日の対戦相手が、高校時代の安達投手がエースの神戸村野工高だったのだ。
 まだ二回戦、しかも格下相手ということで、当然ながら相手チームはエース温存で試合が始まった。
 我が母校の野球部もそれなりに奮戦した。
 リードを許しながらも終盤にチャンスを作り、相手方エースを引っぱり出したのだ。
 マウンドに立った安達投手の姿は鮮烈だった。
 当時、かなり細身だったと記憶しているが、投げる球のレベルが、もう全く違っていた。
 野球マンガで言いう「剛速球」とは、こういうことかと思った。
 今調べると高校時代の安達投手は、実際に140キロ台後半を投げていたようなので、私の記憶もさほど過大なものではないはずだ。
(ああ、これはもうしょーがない! こんな球投げられたら、うちの選手も先生も負けて本望だろう!)
 試合結果は極めて順当に、母校の二回戦敗退で終わった。

 次に私が安達投手の名を目にしたのは、92年ドラフトのニュースだった。
 松井秀喜を外した阪神に、ドラフト1位指名で入団。
 外れ1位とは言え、相手はあの松井秀喜である。
 エース候補として堂々の入団だったと記憶している。
 ほんの一度だけだが高校時代の雄姿を見ていた私は、
「ああいう選手がプロになるんだなあ」
 と、感慨を新たにしながらニュースを見ていた。
 しかし、その後長らく、安達投手の姿を見ることはなかった。

 最後に私が安達投手の姿を目にしたのは、99年。
 阪神の監督に就任した野村克也さんの動向を報じるスポーツニュースの中でのことだった。
 あれこれチームの立て直しに取り組む中で、投手として結果が出ないままに二軍で外野に転向していた安達選手に、投手復帰を促すシーンがあった。
 再生工場と呼ばれたノムさんの目にも、「このまま終わらせるには惜しい」と感じさせる何かがあったのだろう。
 残念ながら再生ならず、この年現役引退。
 野村監督は翌年、打撃投手として安達さんを再び招いており、そこには優れた素質に対する「情」を感じる。

 安達智次郎さんの、とくにフィジカル面の才能は、超一級だったはずだ。
 子供の頃は小児がんを患い、スポーツもままならなかったという。
 中学でも「野球漬け」では全くなく、本格的に投手を始めたのは高校からで、ごく短期間で剛速球を投げてしまうのだから、まさに「天才」という他ない。
 プロで大成しなかった原因は色々あるのだろうけれども、微妙なバランス、巡り合わせ次第で、活躍できる可能性もたくさんあったのではないだろうか。
 才能の開花の難しさ、心と身体のバランスの不思議さを見る思いがする。

 引退後の安達さんは、少年野球の指導に力を尽くしていたという。
 子供の長所を伸ばす、良い先生だったに違いない。
posted by 九郎 at 21:22| Comment(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする
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