苫米地英人は「とまべち ひでと」と読む。
90年代、テロ事件を起こしたカルト教団信者の、脱会や脱洗脳の活動でその名が広く知られたと記憶している。
近年は書店のビジネスや自己啓発の棚に多数の著書が並んでいるので、そちらで名を知った人も多いかもしれない。
私自身はその手の本を読む習慣はないので、大半はスルーしてきた。
ビジネス書や自己啓発本の多くは、要するに「いかに現状を追認、あるいは盲従して最大利益を上げるか」に終始しているような気がして、私の好みからするとちょっとぬる過ぎるのだ。
ただ、少なくともこの著者のベクトルは、「体制批判」「持たざる者への利益誘導」に向いていると認識していて、本業(?)である「認知学者」としての著書の内容はとても興味深く、何冊か読んだ。
今回、未読も含めて手元にある本を一通り開いてみて、残しておくことにしたのは以下の二冊。
●「洗脳原論」(春秋社)
おそらく著者の最初の一般向け書籍。
古今の「催眠」「洗脳」の歴史、そしてカルト教団信者の「脱洗脳」について、初歩からかなり突っ込んだ内容まで概説している。
同じ著者の中から一冊選ぶとするなら、迷わずこの最初の著作をお勧めしたい。
●「スピリチュアリズム」(にんげん出版)
世の「スピリチュアル」的風潮に対する、徹底批判の一冊である。
超常現象や宗教的な世界観と、科学的知見の折り合いのつけ方として、納得できる記述になっている。
ただ、専門外の領域について「筆が滑っている」と思える箇所がいくつか目に付いた。
私が気付いたのは内容の本筋に関わる部分ではないけれども、「ノリで書き飛ばしてしまうこともある著者」ということには留意しながら読むのが良いと思う。
2000年以降、苫米地英人の本はたまに手に取っていた。
とくに日常意識から切り替わった「変性意識」についての解説は、宗教や呪術、創作の現場などで、私自身が見聞きしたり実体験したことと整合性を感じていた。
ただ、先の本の紹介でも書いた通り、著者の人物像にちょっと取り扱い注意な部分を感じつつの読書だった。
その疑問が一応解決したのは、月刊「KAMINOGE」のインタビュー記事を読んでからのことだった。
この雑誌は、90年代のカルトプロレス雑誌「紙のプロレス」の元スタッフが手掛けたもので、往年の「世の中とプロレスする雑誌」の精神を受け継いでいるのが楽しくて、毎月読んでいる。
ごく初期には苫米地英人がわりと頻繁に登場していて、今でも入手可能なのは、たとえば以下の号だ。
●「KAMINOGE vol.8」
これはインタビュアーの「受け」の上手さだと思うが、かの人の「愛すべき胡散臭さ」の部分が存分に引き出されていて、人物像についての疑問が、むしろ好感に変わったのだった。
以来、「洗脳技術のトリックスター」の活躍を、楽しみながら遠くから眺める感じで今に至っているのである。
2018年03月22日
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