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2018年04月08日

読む駄菓子3

 今現在、子ども向けホビーの王様は、やっぱりゲームになるだろう。
 実際おもしろいし、お手軽だし、時間を潰せるし、友だちと盛り上がることもできるので、これはまあ仕方がない。
 ゲームで自然に身に付くスキルもたくさんある。
 それ以外の楽しみを子供に伝え、ゲームを相対化させるかどうかが、保護者や教育関係者の腕の見せ所になるだろう。

 ゲームが不動の王座に就いたのは、たぶん83年のファミコンの発売以降になるはずだ。
 ファミコン以前は、長らくマンガの王座が続いていた。
 70年代後半にもオモチャとしてのゲーム機は存在したが、多くは一機につき一ゲームで、ビジュアルも貧弱で、数あるホビーの中の一つに過ぎなかった。
 TV画面に接続し、本体とバラエティに富んだ各種ソフトで楽しむ形式はファミコンから始まり、そこから長期政権が始まったのだ。

 子ども向けホビーの王座がマンガからゲームに移行する間隙、ほんの2〜3年のことではあるけれども、プラモデルが男の子向けホビーの主役に躍り出た時代があった。
 80〜82年にかけて勃発した、空前の「ガンプラブーム」の期間である。
 このブームについては、これまでにも繰り返し記事にしてきた。

 地方の小学生が体感したガンプラブーム
 ブーム当時のガンプラ

 そんなブームを背景に、小学館の「コロコロコミック」に対抗して講談社から81年に刊行されたのが、「コミックボンボン」だった。
 創刊時の盛り上がりを直接体感した私たちにとって、ボンボンと言えば「子ども向けプラモ雑誌」だった。
 ガンプラを始めとするリアルロボットプラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が一番人気で、カラーページでは毎号ハイレベルの作例が紹介されていた。
 他の連載作品も、ポケバイ、ラジコン、特撮自主映画など、ホビー色の強いものが並んでいた。


●「プラモ狂四郎」やまと虹一(82〜86)
●「おれのサーキット」山口博央(82〜86)
●「ラジコンキッド」作:神保史郎 画:のなかみのる(84〜87)
●「特撮大作戦ザ・トクサツマン」国友やすゆき(84〜86)

 また、ガンダムから始まったリアルロボットアニメはほぼ全作品コミカライズされ、切れ目なく連載が続いた。
 リアルロボットアニメはストーリーが複雑であることが多かったが、池原しげと等職人的なマンガ家の手によって上手くダイジェストされ、全体の流れが理解しやすいよう配慮されていた。
 新人賞からは近藤和久がデビューし、リアルロボット表現の名手へと成長、アニメのメカデザインやプラモ表現にも逆に影響を及ぼしていった。


●「機動戦士ガンダムMS戦記」
●「機動戦士Zガンダム」

 また、オリジナルストーリーマンガでも非常に印象的な作品があった。


●「はじけて!ザック」井上大助(84〜86)
 連載開始当初は爽やかな学園バトルものだったが次第に「暴走」が始まり、凄惨なバイオレンスアクションへ変貌、最後には「ハルマゲドン」まで突き進んだ。
 読者層からは完全にずれていて、後に単行本で「迷宮神話」と改題され、カルト的な人気を獲得した。


 80年代から90年代にかけてライバル誌としてデッドヒートを繰り広げた二誌だが、タイアップ路線を強力に推し進め、ヒット作が切れ目なく続き、ホビー色も吸収したコロコロに対し、ボンボンはプラモ人気の漸減もあって次第に部数を減らし、07年には休刊した。

 私は小学校高学年から一貫してプラモ少年だったので、どちらかというと「ボンボン派」だった。
 しかしさすがに十四歳を超えたあたりからコロコロやボンボン等の雑誌は卒業し、週刊少年マンガ誌や模型専門誌へと移行した。

 コロコロで言えば「ゲームセンターあらし」、ボンボンで言えば「プラモ狂四郎」の功績は本当に大きい。
 現代ニッポンのゲームやフィギュア等のホビーの隆盛の礎になったのは間違いない。
 なにしろ、近年になってようやく現実化したe-SportsもVRも、ほぼ40年前の作品のメインテーマとして描かれているのだ。
 子どもの頃の私が熱狂したものの、まともに内容では評価されにくい両作品。
 しかしそうした「読む駄菓子」的な作品が、はるか未来の巨大市場の「預言書」または「生みの親」であったという史実には、なんとも言えない痛快さを感じるのである。
(「読む駄菓子」の章、了)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする
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