実家に帰ると、なんだかんだと昔のものが出てくるものだ。
今回の帰省でも、押し入れという名のマウンテンサイクルから、いくつかの黒歴史が発掘された。
そのうちの一つをご紹介。
まずはブツの写真から。

うちはごく普通の一般家庭なので、これは別に土蔵から出てきた古刀でも、裏山からの出土品でもない。
大きさが分かりやすいように、カッターナイフを比較対象に置いてみる。

こんな風に、ごく小さいものだ。
そろそろ正体を明かすと、昔私が作ったものである。
古いものに接すると、古い記憶が色々蘇ってくる……
小学校低学年の頃、私は忍者になりたかった。
当時はまだ忍者マンガやアニメの流行の名残りで、「サスケ」や「カムイ外伝」の再放送が度々あった。
私の忍者好きは、多分その影響だったはずだ。
高学年になると、さすがに「今は忍者はいないらしい」と分かってくるので、「やりたいこと」や「なりたいもの」にも、現実とのすり合わせが行われる。
剣道を習いはじめたのが、ちょうどその頃だった。
そして同じ頃、「刀鍛冶になりたい」と思っていた。
これは国語の教科書に載っていた「天下一の鎌」という物語の影響だったはずだ。
ポケットナイフの「肥後守」が普及していた時代なので、彫刻刀に付属した小さな砥石でそれを研ぐことから、私の「刀鍛冶ごっこ」は始まった。
ある程度研げるようになると、今度は「刀を打つ」という行為もしてみたくなる。
さっそく近所の鉄工所の屑鉄入れから、手ごろな鉄板や鉄棒をくすねてくる。
鉄板を下敷きに、鉄棒を金づちで打って形を整える。
カツーン、カツーン、カツーン……
ふう、と汗をぬぐいながら鉄棒を打ち続ける小学生の私。
火遊びはいけないので、さすがに焼きは入れなかったはずだが、気分は完全に刀匠である。
形がそれっぽくなったら、例によって砥石で表面を整える。
今回紹介しているのは、たぶんそうした「刀鍛冶ごっこ」の遺留品の一つだと思う。
今は見る影もなく錆が浮いているが、あの頃はペーパーナイフ程度には切れていた。
拾ってきた鉄棒が実際に切れるようになるのが嬉しくて仕方がなかった。
子供の頃の私が刃物作りにこだわったのは、今思うと母方の祖父の影響もあっただろう。
このカテゴリ原風景でも度々紹介してきた、大工で木彫りが好きだったおじいちゃんである。
おじいちゃんは木を加工するだけでなく、そのための彫刻刀まで各種自作してしまう人だったのだ。
私は小さい頃からよくおじいちゃんの真似をしていたのだ。
記憶の底4
奇妙な記憶3
ヌートリア
おじいちゃんの弁当箱は