リアルロボットアニメの作品数がピークにあった1983年、当時の私の各作品やプラモデルへの関りは、以下のような感じだった。
★TVアニメ「聖戦士ダンバイン」
全話ではないが作品は観ており、異世界ファンタジーの世界観や生物的メカデザインに惹かれた。
ファンの間では「世界観を壊す」という理由で不評だった後半主役メカ「ビルバイン」のデザインも、私にとってはものすごくカッコよく見え、大好きだった。
いくつかプラモデルも買ったが、このシリーズは作品世界を忠実に再現した凄まじくカッコいい箱絵のレベルに、プラモ本体がついていけていないという悲劇があった。
せっかくの生物的デザインがあまり活かされていない出来に、やや不満が残った。
★TVアニメ「装甲騎兵ボトムズ」
残念ながら放映エリアから外れており、アニメ自体は視聴できなかった。
プラモデルに興味はあったが、小サイズのものをいくつか買うにとどまった。
私がこの作品の世界観の真価を知るのは、数年後、小説による外伝作品「青の騎士ベルゼルガ物語」を読んでからである。
★TVアニメ「超時空世紀オーガス」
確か放映時間帯の関係で視聴できなかったはずで、プラモデルも買わなかった。
★TVアニメ「銀河漂流バイファム」
普段ロボットアニメなど観ない友人も多数ハマったりしていた。
もしかしたらファーストガンダム以降、もっとも「ロボットアニメファン以外」を呼び込めた作品かもしれない。
プラモデルの出来も良いという噂は聞いていたが、私自身は他のシリーズ優先で手が回らず、作品を楽しむにとどまった。
★TVアニメ「機甲創世記モスピーダ」
前回記事でも紹介した通り、作品自体でいうと、この年私が一番好きだったのが「モスピーダ」かもしれない。
しかし同じくプラモまで手が回らず、小サイズのものをいくつか買うにとどまった。
リアルタイムで放映している作品を楽しみながらも、プラモの方には「興味はあれどもハマり切れない」という傾向は、翌84年も続いた。
ではその期間、私を含めたプラモファンの一番人気のシリーズが何だったのかというと、やはり「ガンダム」だった。
82年に劇場版が完結し、作中に登場したメカがその年のうちに「弾切れ」になったにもかかわらず、83〜84年になってもガンプラの新製品は、供給が続いていた。
アニメに登場したMSの、プラモ独自のバリエーション展開、通称「MSVシリーズ」である。
MSの派生デザインは、大河原邦男自身の手により、最初のガンプラブーム(81〜82年)の時期から特集本の企画等で、いくつか発表されていた。
その一種の「知的遊戯」に、当時の人気若手モデラーユニット「ストリームベース」の面々が食いつき、作例を発表していった。
●「HOW TO BUILD GUNDAM 1&2」
アニメ作画の制約を受けない、ゴツゴツと機械的なデザインのカッコよさは、まさに衝撃的だった。
82年に入り、アニメ登場の人気メカのプラモ発売が一巡してしまったことに寂しさを感じていたファンは、その新しい「遊び」に救いを求め、熱狂した。
なにしろ元になる映像作品が存在しない、メタフィクション的な世界観である。
発表されたハイレベルな派生デザインだけに留まらない広がりが、そこにはあった。
あまり難しい改造が出来ない小学生でも、自分好みに流用パーツをベタベタ貼り付け、好きな色に塗ってしまえば、「僕の考えたMS」が出来てしまう。
既に二年続いたガンプラブームに、小学生モデラーの技量もそうした遊びが可能な程度には底上げされていたのだ。
マンガ「プラモ狂四郎」がまさにそうした遊び方を啓蒙する作品であったし、何よりも、大河原邦男の描くファーストガンダムのシンプルなMSデザインには、素朴な改造ごっこ受け止められる「包容力」が、十分にあった。
狂四郎の活躍や、毎号掲載される時宜を得た改造作例が盛り上がりに拍車をかけ、ついに83年、バンダイもアニメ未登場のMSVシリーズ発売開始に踏み切った。
ファンにとってもメーカーにとっても、「ガンダムの後も、やっぱりガンダム」だったのだ。
可能性としては、他のリアルロボット路線の作品がプラモデルの主軸を担い、以後もバトンリレー形式に交代していく流れもありえたはずだ。
しかし現実には、83年の分岐点にあたり、プラモファン主導で選ばれた方向性は「ガンダムの継続」で、私もそんな流れを後押しした多くの小学生ファンの中の一人だった。
この分岐は85年の続編アニメ「機動戦士ゼータガンダム」制作の遠因となり、最終的にガンダムは「終わらない(あるいは終われない)」代替不能のシリーズとなり、現在に至る。
こうした「時代の雰囲気」は、ガンダム20周年を記念して1999年に刊行された以下の本に、詳細に記録されている。
●「ガンプラ・ジェネレーション」五十嵐浩司・編(講談社)
懐かしい作例や、「プラモ狂四郎」の後日譚読み切りマンガ、当時の関係者の証言がいっぱいに詰まった一冊である。
資料としてもとても価値が高いと思うのだが、ほんの少しだけ、「偽史」と呼ぶべき内容も含まれていたりする……
(続く)

2018年05月29日
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