先日、長崎の「潜伏キリシタン」文化財が世界文化遺産に認定されたとの報道があった。
そう言えばブログで何度か「隠れキリシタン」についての記事を書いたことがあったなと思い出し、関連記事をまとめておくことにした。
まとめるにあたって少し調べてみると、厳密には「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は区別して定義されているようだ。
私の関心の対象は日本の土俗に深く沈潜し、習合した「隠れキリシタン」の方なので、今回のまとめでもこの言葉を用いる。
これまでに投稿した記事を集成してみよう。
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びるぜんさんた丸や
キリスト教のことはほとんど知らない。
このブログでよく取り上げる仏教や神道、道教についても、専門に学んだわけではないので「本当に理解しているのか」と問われると困るのだが、知識としてはある程度持っている。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と言った旧約聖書の世界を母体とする教えについて、もちろん興味はあったのだが、なかなかそこまで手が回らずにいた。
ただ、キリスト教の流れをくむ、日本の「かくれキリシタン」の信仰については、いくらか調べてみたことがある。
特に独自の創世神話である「天地始之事」に描かれる世界はとても魅力的で、繰り返し何度も読んだ。
一応聖書の神話がベースになっているものの、「天地始之事」は非常に日本的なアレンジになっていて、素晴らしい物語世界だ。
中でも生き生きと描かれているのが「びるぜんさんた丸や」というヒロインで、このキャラクターは「聖母マリア」に相当する。
天帝でうすが苦しみの中にある人類を救うため、自らの身を分けるために選んだ少女・丸や。
あんじよさんがむりあ(天使聖ガブリエル)の受胎告知を受けた丸やに、でうすが蝶の姿になって口から入りこみ、処女懐胎が成就する。
王様のプロポーズも断り、父のわからぬ懐妊に両親から家を追われ、丸やの苦難の旅が始まる。
身重の旅路の中、大雪に降られ、しかたなく牛馬の小屋に入りこんで寒さをしのいでいるうちに産気づき、ついに「御身様」を誕生させる。
寒さの中の新生児を気の毒に思った周囲の牛馬は、息を吐きかけて赤ん坊を温め、食み桶で産湯をつかわせてやった。
そして暁になると家主の女房が母子を発見、家の中に招じ入れて、様々に親切な施しを与える。
原典の聖書神話にはない、細やかな情に満ちたイエスの誕生シーンの細部描写だ。
丸やの苦難はこの後もまだまだ続くのだが、新しい命の誕生、極寒の中の温もりのイメージは、読んでいるとこちらも優しい気分になってくる。
貧しい暮らしと苛烈な弾圧の中、信仰を守ってきた人々の思いが伝わってくるようだ。
今回の図像は隠れキリシタンの御神体の中から、聖母子像を元に再現している。
元図はおそらく専門の絵師ではなく、ごく普通の信徒が心をこめて描いたであろう素朴なもの。
何パターンかの「聖母子像」があるが、いずれも「丸や」は赤ん坊を抱き、十字をアクセサリーにつけ、月または日月の上に立った姿で表現されている。
胸元はゆったりくつろげられているものが多く、はっきり乳房が描いてあったり、赤ん坊が授乳している姿のものもある。
絵描きのはしくれとして自分でも描いては見たものの、やはり思いのこもった元図には遠く及ばない。
興味のある人は以下の本で。
各種図像と詳細な解説、「天地始之事」全文も収録されている。
●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
ヒロイン・丸や以外にも、様々な魅力的なキャラクターが登場する。
堕天使ルシフェルも、「七人のあんじよ頭じゆすへる」として登場し、天帝に反旗を翻した結果「鼻ながく、口ひろく、手足は鱗、角をふりたて」た姿に変わり果て、「雷の神」にされてしまう。 じゆすへるを拝んだあんじよも全て、天狗に変わって天から落ちてしまう。
ともかく、一読の価値あり。
隠れキリシタンに伝承された音の世界も、とても良い。
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)
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諸星大二郎「生命の木」
諸星作品が好きだ。
どのくらい好きかと言うと、たとえば今住んでいる部屋の窓から外をのぞくと、隣のビルの屋上に何か植物の葉っぱが見えて、風に揺れているのだが、
その葉っぱを見ていると、なんとなくこんな鉢植えが置いてあるのではないかと、妄想してしまう自分がいる。
それぐらい好きだ。
諸星大二郎の代表作に「妖怪ハンター」シリーズがある。
民俗学の研究者稗田礼二郎が、日本各地でフィールドワークを行う中、数々の怪事件に遭遇する連作短編のシリーズで、当ブログでも何度か紹介してきたことがある。
祭の始まり、祭の終り
六福神
今回紹介するのは、妖怪ハンターシリーズ第一集「海竜祭の夜」の中から、「生命の木」という作品だ。
「生命の木」
前回記事で紹介した隠れキリシタンの神話世界をベースに、舞台を東北の山村に読み替えて、ある殺人事件から壮大な神話体系がこぼれてくる様を描く、諸星作品の真骨頂。
わずか31ページの短編であること、まだデビューから年月の経っていない初期作であることが信じられないくらい濃密な物語だ。
近年「奇談」というタイトルで阿部寛主演の映画が制作され、概ね好評のようなのだが、まだ未見。原作があまりにも素晴らしすぎると、実写化作品を観るのには、自分で高いハードルを設定してしまうのは仕方がない。
おそらく諸星大二郎は、隠れキリシタンの聖書「天地始之事」を貪るように読み込み、その内容に震えたのだと思う。
ローカルを極め尽くしたことで逆に広がる巨大な世界観、隠された信仰の底知れない闇が生み出す強烈な光に打ち震え、そしてその「震え」を自らのペンで紙に叩きつけるようにして出来上がったのがこの作品なのではないだろうか。
因習めいた山村の奇怪な殺人事件が生み出す、まばゆいばかりの聖なる世界。
上掲作品集は現在入手困難なようなので、一応「生命の木」が収録されている本の中から比較的入手しやすいものも紹介しておく。
●「汝、神になれ 鬼になれ (諸星大二郎自選短編集)」(集英社文庫)
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石川淳「至福千年」
古書店のワゴンセールなどで目にとまり、さほど緊急性はないけれども、安いので一応確保していた類の本がある。
いずれ読もうという気はあるのだが、日々の雑事や優先度の高い読書に阻まれて、なかなか手が出せないうちに十年二十年と経ってしまったりする。
しかし、そろそろ「いずれ読もう」という言葉の頭の、「いずれ」の部分が、残り少なくなってきた年齢である(笑)
二年ほど前から、なるべくそうした本に手を伸ばすよう心がけ、このカテゴリ積ん読崩しでも覚書にしてきた。
今回は以下の本。
●「至福千年」石川淳(岩波文庫)
【表紙紹介文の引用】
内外騒然たる幕末の江戸、千年会の首魁・加茂内記は非人乞食をあやつって一挙に世直しをと狙っていた。手段選ばぬ内記に敵対するのはマリヤ信仰の弘布者・松太夫。これら隠れキリシタンたちの秘術をつくした暗闘のうちに、さて地上楽園の夢のゆくえは――。不思議なエネルギーをはらむ長篇伝奇小説。(解説=澁澤龍彦)
上記紹介文にもある通り、聖と賎、隠れ信仰、世直し、神懸り等の私好みのテーマを扱っているが、語り口はあくまでアクション中心の通俗伝奇小説である。
奥付によると初出は昭和42年なので、アクション等のエンタメ要素だけを今の目で見ると、かなり簡素な印象を受ける。
この50年、エンタメ作品はアクション描写をひたすら進化、肥大化させ続けてきたのだなと感じる。
今同じ内容をメジャーな媒体で作品化しようとすれば、もっと長大な尺が必要になるはずだが、その分、アクションで装飾されたテーマの核心部分は散漫になってしまうかもしれない。
マンガや小説のエンタメ作品の長大化がそろそろ限界を迎えている現在、ほど良い描写密度を考えるのに良い作品だと思った。
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紹介した創世神話「天地始之事」については、いまでも「絵解き」してみたい意欲はある。
なんらかの形にできるといいなあ。
2018年07月02日
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