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2018年07月23日

抜け忍サブカルチャー1:原風景

 私が子供の頃の記憶として明確に覚えているのは、70年代後半からのことになる。
 当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が残っていた。
 白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
 昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
 書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。
 そう言えば、私の小さい頃の大人になったらなりたいものは「忍者」だったっけ(笑)
 小学校高学年になって「今はもう忍者はあまりいない」と理解し、自分の運動神経の無さを思い知ってからは、「刀鍛冶」に進路変更した。
 それはそれで黒歴史を築いたことは、以前記事にしたことがある。

 天下一のペーパーナイフ
 ナイフみたいにとがっては

 その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
 ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。

●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)

 抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
 BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。

 70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
 以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
 確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
 白土三平が切り開いた「抜け忍モノ」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。

 そうした作品の嚆矢にして代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
 主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の組織「ショッカー」に拉致された被害者である。
 改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる。
 まさに「抜け忍」である。

●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)

 小さい頃の私は、このTVシリーズを繰り返される再放送で楽しんでいたのだが、正直作品の「世界観」までは理解できていなかった。
 TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれた「コミカライズ版」を読んでからだった。
 仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
 話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
 私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
 そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。


●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
 仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
 それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
 これはまさに「離れ業」である。
 とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
 ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。

 関連記事:ビデオ普及以前のコミカライズ

 山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってあった。
 ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は(私は山田ゴロ版より後に読んだのだが)子供心に「これは別物!」という印象を強く持った。


●「仮面ライダー」全三巻(71年、週刊ぼくらマガジン/週刊少年マガジン連載)
 まず絵柄がちょっと怖かった。
 当時の石森マンガの中ではかなり描き込まれた描線で、画面が暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
 内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスな文明批評SFとして真正面から描かれており、なんとなく「大人向け?」と思ったのを覚えている。

 関連記事:暴走する石森DNA

 同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。

●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」

 後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは中学生になってからのことだった。

 ごく小さい頃から、私は孤独の影のある主人公が好きだった。
 そうした主人公の性格は「抜け忍モノ」の設定と相性が良く、自然とそうした作品に心惹かれるようになったのかもしれない。
 そしてより根本的には、私が弱視児童であったことが影響していると思う。
 小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていて、「通りすがりの絵描き」という立ち位置が習い性になっていた。

 最初の修行1
 最初の修行2
 最初の修行3
 最初の修行4

 そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
 そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。
(続く)

posted by 九郎 at 22:00| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする
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