●マンガ版「デビルマン」永井豪(72〜73週刊少年マガジン連載)
読んだ年齢、作品内容、全てが噛み合って、生涯最もハマった作品になった。
この作品については、これまでにも度々記事にしてきた。
70年代永井豪の「魔神懸かり」
過去作ではなく、リアルタイムの連載作品としては、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを生み出す直前の荒木飛呂彦の短期連載が物凄く面白かった。
●「バオー来訪者」荒木飛呂彦(84〜85週刊少年ジャンプ連載)
軍事秘密組織の人体実験から脱出した少年少女の逃避行を描く、「抜け忍モノ」の王道を行くような設定。
80年代的なバイオテクノロジー描写と、おそらく古代呪法「蟲毒」を接ぎ木したショッキングなバイオレンス描写の秀作である。
80年代後半には「抜け忍モノ」をSFとして再生させた中興の祖、仮面ライダーシリーズも復活した。
●TV特撮「仮面ライダーBLACK〜RX」(87〜89放映)
平成直前、昭和ライダーの集大成にして原点回帰、シリアスでよくできた作品だったと思うが、放映当時の私は、年齢的に「子供向け」からは少し距離を置きたい段階に入ってしまっていた。
この前年の86年、「機動戦士ガンダムダブルゼータ」でリアルロボットアニメからも「途中下車」しており、そろそろ「大人向け」の小説やマンガ、映画に関心が移りつつあったのだ。
とくに続編RXの「より低年齢向け」の路線変更を機に、ライダーシリーズからは完全に卒業した。
ブラックについて言えば、例によって「暴走」した石森マンガ版の方がより印象に残っている。
●「仮面ライダーBlack」石森章太郎(87〜88週刊少年サンデー連載)
より歯ごたえのある作品を求める内に、子供の頃から好きだった元祖抜け忍カムイの「本編」の方に手が伸びた。
●「カムイ伝 第一部」白土三平(64〜71月刊漫画ガロ連載)
中高生当時、ちょうど私は超スパルタ受験校に通っていた。
青春ハルマゲドン4
青春ハルマゲドン5
青春ハルマゲドン6
当時ですら異様な戦前回帰教育、時代錯誤のキツい体罰に日々晒されており、作中の被支配階級の民衆や、逃亡者となったカムイに、あらためて深く感情移入していた。
同時期、リアルタイムで「カムイ外伝」の続きが連載されていた。
絵柄も内容も完全に「大人向け」になっており、私は本編「第一部」の後日譚として、あるいはいずれ開始されるであろう「第二部」への序章として、本編に続けて読み耽った。
●「カムイ外伝 第二部」白土三平(82〜87ビッグコミック連載)
80年代半ばには、永井豪「デビルマン」と並ぶ、もう一つの衝撃があった。
SF作家・平井和正の作品との出会いである。
平井作品には私好みの「孤高のヒーロー」が多数登場するが、「抜け忍モノ」の系譜に連なる作品としては、「死霊狩り(ゾンビ―ハンター)」がある。
●小説「死霊狩り(全三巻)」平井和正(72〜78)
地球外生命体の侵略を受けた人類が、優れた身体能力と闘争心を持つ若者の中から、狂気のサバイバル試練で「不死身の怪物」と言えるメンバーを選抜し、戦いに赴かせるバイオレンス・ストーリー。
主人公の元レーサー・田村俊夫が最後に「抜ける」のは、何からか。
70年代の平井和正は、マンガ原作で磨き上げたエンターテインメント性と、生来の情念滾る作風がバランスよく噛み合った傑作を連発している。
80年代以降は「エンタメの定型」を崩す方向に進化して読者を選ぶようになり、実は私はそちらの方向性も熱愛しているのだが、少なくとも70年代半ばまでの平井作品は万人に全力でお勧めできるのである。
とくに本作は「未完の帝王」と呼ばれた作者の、当時としては珍しい「完結長編作品」であった。
全三巻でコンパクトにまとまっているので、今まさに孤独な青春を送っている若者にはぜひ手に取ってほしい。
つい先ごろ、ハヤカワ文庫から全三巻を一冊にまとめたものが復刊されたので、今なら非常に手に取りやすい。
この作品、小説の初出は72年だが、60年代末には先行して桑田二郎作画「デスハンター」として、ほぼ同内容のマンガ版が制作されていた。
マンガ版の原作がそもそも小説形態で書かれており、マンガ完結後に加筆と構成変更を経て完成したのが小説版と言うことのようだ。
個人的に、「8マン」から始まる平井/桑田コンビのマンガ作品としては、この「デスハンター」が最高傑作ではないかと思っている。
写実の要素を盛り込んで研ぎ澄まされた描線が、この時期の平井和正の世界観と完全にシンクロしているのだ。
●マンガ「デスハンター」平井和正/桑田二郎(69週刊ぼくらマガジン連載)
中学生の頃の「デビルマン」ショックを通過した80年代後半の高校生時代、私が最も読み耽ったのが平井和正とカムイ伝だった。
平井和正は当時よく遊んでいた友人の本棚で知った。
厳しい生徒指導と進級基準で、その友人も含めた同級生が次々と学校を去る中、私は教育系の美術志望に切り替えた。
このスパルタ地獄から必ず生還してやろう。
それにはとにかく「力」が必要だ。
そう考えて、ひたすら技術を磨いた。
デッサンと見取り稽古
なんとか卒業までサバイバルし、受験も乗り切った時には、冗談ではなく「ああ、俺はついに抜けたのか」と解放感を味わった。
それからずっと、今に至るも「抜け忍気分」は続いている。
(続く)