2018年08月14日

再掲、映画「この世界の片隅に」

 稀にみるロングランを続け、アナザーバージョンの公開も決定した映画「この世界の片隅に」について。

 噂にたがわぬ良い作品だった。
 戦争や原爆はテーマとして厳然とあるのだけれども、描写の中心は名もない庶民のごく普通の生活風景だ。
 ちょっとぼんやりした、絵を描くのが好きな女性「すずさん」の眼と手を通して、戦前から戦中、戦後の広島近辺の風景が、ていねいにていねいに描かれる。
 精緻を極めた絵作りがなされているはずなのに、原作マンガ家・こうの史代の画風もあって、観客の眼に入る映像はあくまでさりげない。
 絵作りに全力を傾注しているはずの作り手の熱意が、前面に出過ぎていないのがまた素晴らしい。
 そうした細やかな生活描写や、情のやりとりが描かれてこそ、徐々にスクリーンに侵攻してくる戦争の暴威が、強烈なコントラストを感じさせるのだ。

 映画を観ながら、なんとなく石牟礼道子の著作のことを思い出していた。
 水俣の語り部であるかの作家も、公害の惨禍だけでなく、それ以前の美しく懐かしい水俣の海山、民俗の在り様を作品として結晶させ続けてきた。
 作品に少し「異界」とか「幻視」の要素が含まれていることも、共通しているように感じる。
 理不尽な暴虐に対する時、失われたものの美しさを描き残すことこそが、もっとも強い力を発揮することもあるのだ。
 そう言えば3.11後の反原発デモでも、幾多の力のこもった演説にもまして多くの人の心を打ったのは、唱歌「ふるさと」だった。

 絵描きのハシクレとして観るならば、主人公のすずさんが空襲時に呆然と空を眺めながら「今絵の具があったら」と夢想するシーンが心に突き刺ささる。
 そう、絵描きはそのように感じるのだ。
 現実と並行してふと夢想が混ざり込み、そんな物語を描き留めたくなる感覚は本当によくわかる。
 それは絵描きの「業」だ。
 すずさんは状況的に描けなかったけれども、絵描きの業を背負った者は、できることならそんな時は、まわりにどう思われようと、やはり描いた方が良いのだ。
 

 あまり人には言わないけれども、私は毎日のように「絵を描く手がなくなったら」とか「目が見えなくなったら」と、ひとしきり想像する時間を持っている。
 実際そうなってみないと分からないが、もしそうなっても描けるようにと、そのような想定をする時間を持つように心がけている。
 明日何が起こるかわからないのが人生だ。
 元弱視児童であり、阪神淡路大震災の被災者でもある私は、そのことを身に染みて知っている。

 描き残す、そして書き残すということについて、深く感ずるところの多い、本当に良い映画だったと思う。

 印象的な画面が目白押しだったが、観てからかなりの時間が経過した今でも、たまに反芻するシーンがある。
 終戦の場面である。
 玉音放送を聴いた主人公・すずさんが、一人裏庭に出て、地面を叩きながら慟哭する。
 その時の独白が、言葉通りに受け取ると非常に「好戦的」で、まるで敗戦を悔しがり、戦い抜きたがっているかのようなのだ。
(あの大人しいすずさんが、なぜ?)
 そんな疑問を感じた人も、多かったのではないだろうか。
 その時すずさんが感じた「悔しさ」、私はなんとなくわかる気がするのだ。

 何度も書いてきたが、私は中高生の頃、カルト教団じみた、または戦前の軍国主義じみた、超スパルタ受験校に通い、過酷な体罰教育を受けてきた。

 青春ハルマゲドン

 もちろん中高生としての楽しい思い出もたくさんあったのだが、反発が大きすぎて、卒業後はなるべく母校とは距離を置き、関わらずに過ごしてきた。
 そして90年代、卒業から十年ほど経った頃、我が母校が進学実績の伸びと共に、ごく常識的な範囲の「普通の校風」に脱皮していったことを、風の便りに知った。
 それ自体は「良いこと」で、後輩たちのことを考えれば、まことに好ましい変化だ。
 しかし、私がその時反射的抱いたのは、「悔しさ」に似た感情だった。
 カルトな校風に馴染めず、卒業せずに去っていった友人たちのことや、どうにかサバイバルした自分の感情が蘇ってきた。
 そして、母校の「最高傑作」の一人でありながら、後にカルト教団に走ってしまった面識のない先輩のこと。
 映画館でラストに近づく画面を観ながら、そんなことを思い返していた。

 そう言えば映画の中のすずさんも、戦争で大切なものをたくさん失いながらも、淡々とした日常に還っていったのだった。
 あの終盤の流れ、映画館の暗闇でひっそり涙しながら、見入ってしまった。
posted by 九郎 at 08:07| Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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