記憶の古層には、ときに無気味なイメージが混入している。
今でもふとした瞬間に蘇ってくるのは、幼稚園への通園風景だ。
地区の児童を何人か、引率の大人が二人ほどついて、園に送り届けている。
幼児集団の引率は難しい。
一人一人が我侭な王子様、お姫様で、まだ群れの秩序が身に付いていない。
みんなと一緒に歩くというだけのことがけっこう難しかったりするので、しばしば阿鼻叫喚の修羅場になる。
そこで、秘密兵器が登場する。
縄跳びの縄をいくつも編んで、持ち手の部分をたくさん出して作った引率器具だ。
持ち手の部分に幼児を一人ずつつかまらせて、ちょうど「電車ごっこ」のような雰囲気で引っ張って行くわけだ。
うまく子供たちをおだてながら、楽しい雰囲気で騙し騙し園に送り届ける。
こうしてしたためてみると、なんとも珍妙な風景で、どこまで本当にあったことなのかは、私自身にも定かではない。
川沿いの土手を、ロープで繋がりながらみんなと並んで行進した。
土手から見下ろす稲刈りを終えた田んぼには、ビニールシートが風にパタパタなびいていた。
そんな細部の情景まで含めて、夢のように淡く記憶の底に残っている。
それからはるかに時は流れて、私は自分の記憶の中の「電車ごっこ」の通園とよく似た風景を、TV画面の中に発見して「アッ!」と叫ぶことになった。
それは1997年、幼児連続殺傷事件の異様な緊張に包まれた、神戸の街の1コマだった。
近隣の保育園や幼稚園の通園は厳戒態勢となり、引率の保護者の皆さんが、間違いなく全員を送り届けるために、幼児にロープを握らせて行進させている情景がTV画面に映し出されていた。
私の70年代の「記憶の底」が、90年代の無気味な事件とシンクロして蘇ってきたのを覚えている。
そして2010年代も終わりにさしかかった今、引率される幼い子供達という、本来は可愛らしく微笑ましい情景に暗雲がたちこめる、そんな世相を痛ましく感じている。
同時期の通園風景の中、記憶に刻まれた、忘れられない怖い思い出がもう一つある。
二、三人の大人に引率された幼児の集団が、川沿いの土手から降りて集落にさしかかる。
幼稚園の近くなので、他の通園グループも集まってきている。
園児の弟か妹だろうか、小さな乳幼児を抱いた母親が行列を見送っている。
抱かれた子供は「おやつのカール」をしゃぶりながら(まだ噛めない)、お兄さんお姉さんたちの通園風景を熱心に眺めている。
幼児の私を含む「電車ごっこ」の列が、その母子の横を通りすぎようとした時、突然悲鳴が上がった。
「ヒキツケ! ヒキツケや! 誰か梅酒持ってきて!」
異様な光景だった。
それまで「おやつのカール」をしゃぶっていた小さな子供が、母親の腕の中でぐったりしている。
母親は必死の形相で叫んでいる。
どうやら子供が「ヒキツケ」を起こしたので、気付けに梅酒を持ってきてくれと叫んでいるらしい。
当時、そのような民間療法があったのだろうか?
幼児の私は恐怖に凍りつき、その光景は記憶の底に焼き付けられる。
その後、母子がどうなったのかは全く記憶に残っていないが、私の中で「おやつのカール」と「梅酒」は、「ヒキツケ」の不吉なイメージと固く結びついた。
その後、小学校の高学年ぐらいになるまで、私は「おやつのカール」を食べることをひそかに恐れていた。
おやつで出されても一人だけ手をつけず、他の子供が美味そうに食べているのを、怖々眺めていた。
カールおじさんの登場するほのぼのとしたあのテレビCMにも、どこか不気味なものを感じていた。
梅酒に対してもあまりよい印象はなく、大人になってからも、自ら進んで飲むことはなかった。
しかし、どうやら自分の忌避衝動の源泉が、幼時の記憶と結びついた「思い込み」にあるらしいことを自覚してからは、特に嫌うこともなくなった。
おやつのカールと梅酒への苦手意識を克服した時、私は大人になったのかもしれない(笑)
2019年05月17日
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