2019年05月21日

70年代、記憶の底8

 幼児の頃、私は昼間の時間帯を祖父母の家で過ごしていた。
 当時気になって仕方がなかったのが、祖父母宅の裏に控える、古墳のような小山のことだった。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
 ある時期から、そんなことを考えるようになっていた。
 山の周囲のことはよく知っていた。
 いつも遊んでいたし、子供なので大人の通らない「隙間」も通路として利用できた。
 だからある意味では周囲の大人たち以上に、場所と場所のつながりについて、詳しく知っていたと言える。
 しかし小山そのものは、子供が勝手に登ることは禁じられていたので、幼い私の中では巨大な空白地帯として、好奇心を刺激されていた。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
 時間の経過とともに、子供の空想は着々と蓄積されていく。
 祖父の作った木彫りの妖怪たちも、その空想の格好の材料となった。
 蓄積された空想は噴出口を求めてマグマのようにエネルギーをためこんで行く。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
「山の向こうには何があるのだろう?」
 ある日、幼い私は決然として裏山に登り始めたのだった……

 祖父母宅のあった地域は、広々とした平野に位置していた。
 あちこちに溜池や小山が散在しており、幼児の私が登り始めた裏山も、そんな中の一つだった。
 岩が多く、樹木はまばらで、植物相はさほど深くない。
 その裏山も、子供が登れないことは無かったが、幼児であれば安全とは言いがたい。
 それでも私は登らなければならなかった。
 その時をおいて「山の向こう」に辿り着くことはないと確信しきっていた。
 今となっては自分自身にも意味不明の、幼児特有の頑固さでそう思い定めていた。
 家の裏に迫った岩と岩の隙間の、子供の目には道らしく見える所を「ここが入り口か」と勝手に判断して、私は登り始めた。
 潅木の枝の下をくぐり、草のにおいをかぎながら、どんどん先へと進んでいく。
 木や草や岩のトンネルを抜ける道行きは、最初は少し怖かったが、すぐに面白さの方が上回った。

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 登れば登るほどトンネルは延びていくようで、また少し怖くなり、後悔し始めていたが、もはや後には引けない。
 怖いのと同時に、この状況をドキドキしながら面白がっている自分もいて、とことん進まなければ気がすまなくなっていた。
 それからどれぐらい登ったことだろう、時間にして見れば十数分、あるいはほんの数分のことだったかもしれないが、幼児にとっての主観的な時間経過はとてつもなく長かった。
 茂みのトンネルを抜け、視界が急に開けてきた。

 そこは静かな木立の中だった。
 しんと白っぽく時間が止まり、足元の下草を踏む音が、カサカサと耳に響いてきた。
 一体ここはどこなのかと、魅入られたようにトコトコと前進する幼児の私。
 自分はついに「山の向こう」へ辿り着いたのか?
 そんな期待とともに歩を進めてみると、意外な風景が目の中に飛び込んできた。
 そこは墓地だった。
 観音さんの御堂の上にあり、私もよく遊びに行っていた村のお墓だったのだ。

 大人になった今考えてみれば、不思議なことは一つもない。
 私は祖父母の家から小山の反対側にある墓地まで、山頂を経由して辿り着いたに過ぎない。
 しかし子供心には、それは異様な出来事に感じられた。
 山はどこまでも続き、見知らぬ世界につながっているはずなのに、まっすぐ登った結果が自分の知っている場所になるのは不思議でならなかった。
 子供なりの世界観では、とても納得のいかない現象に思えたのだ。
 納得はいかなかったけれども、私は自分の身に超常現象が起こったような気がして興奮した。
 何かこの世の大切な秘密事項の一端に触れたつもりになり、大変満足だった。
 そして自分の「大冒険」を噛み締めながら、観音さんから帰るいつもの道を通って、祖父母宅へ急いだのだった。

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 このようにして、私はおそらく人生初の「入峰修行」を経験した。
 今から考えるとあぶない話だ。
 山が小さかったから良かったものの、もし普通の山に勝手に入り込んでいたら、立派な神隠し事件になっていたかもしれない。
 しかし私は幸運にも無事生還し、それで味をしめてしまった。
 思い定めて山を登るときの酩酊感覚、登りきって新しい展望が開けたときの興奮は忘れがたく、以後の私は登山に関心を持ち続けることになる。
 登山部などに所属し、本格的に学ぶことは無かったが、中高生の頃の学校の裏山から始まり、近場の登山コース、果ては熊野の山々まで、時間を作っては歩き回るようになった。

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 大人になるに従って山の標高や日程はハードなものになっていったが、登る途中の興奮は幼い頃の「小さな冒険」とあまり変わっていないような気がする。
 山の向こうには何がある?
 その空想の答えも、まだ出ていない。

 この稿を書くにあたって、私は祖父母宅周辺の様子をGoogle Earthの航空写真で確認してみた。
 あの懐かしい家はもう無いのだが、幼い頃の記憶とそれほど違わない、相変わらずの村の風景があった。
 記憶と違っているのは、昔よりお墓の部分が広がって、茂みが少なくなっている所ぐらいか。
 確かめてみれば、幼児の頃の「冒険」の舞台は、本当に小さな小さな、山と呼べるかどうかもわからない平野の「ふくらみ」に過ぎなかった……
posted by 九郎 at 00:03| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする
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