【メディアミックスとマンガ】
日本の子供向けTV番組は、長らく雑誌連載マンガと濃密な関連を持ってきた。
1953年に日本でTV放送が始まったごく初期段階から、メディアミックス的な作品展開はあった。
多人数を対象に無料で視聴できるTVでの露出は、ながらくメディアミックスの中心を占めてきたのだ。
そもそも日本初の30分枠TVアニメ「鉄腕アトム」は、監督である手塚治虫自身が雑誌連載していた同名作品をアニメ化したものだった。
その成功を受けて制作された初期TVアニメの多くは、原作マンガの人気が先行する「アニメ化作品」であった。
60年代の「人気マンガを原作とする初期のモノクロTVアニメ」には、例えば以下のようなものがある。
●鉄腕アトム(手塚治虫)
63年1月〜66年12月、全193話。
●鉄人28号(横山光輝)
63年10月〜66年5月、全97話。
●エイトマン(平井和正/桑田次郎)
63年11月〜 64年12月、全56話。
●オバケのQ太郎(藤子不二雄)
65年8月〜67年6月、全96話。
●おそ松くん(赤塚不二夫)
66年2月〜67年3月、全56話。
●ハリスの旋風(ちばてつや)
66年5月〜67年8月、全70話。
●サイボーグ009(石森章太郎)(劇場版1966年)
68年4月〜9月、 全26話。
●ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)
68年1月〜69年3月、全65話。
雑誌掲載マンガの人気作品がTVアニメ化され、メディアミックスで更に人気が沸騰するという形は、少年マンガのヒットパターンの王道として今に続いている。
人気マンガのアニメ化が相次いだ60年代だが、もちろんマンガを原作としないTV独自の子供番組も多く制作されていた。
ここで「コミカライズ」という言葉が登場する。
メディアミックスの在り方の一形態で、他のジャンルの作品をマンガに変換(コミック化)することを指す。
例えば現在でも人気の「月光仮面」は、川内康範の原作で1958年にTVドラマとしてスタートし、並行して貸本や雑誌連載のマンガ版も制作されており、雑誌連載版は開始当初、後に「8マン」で人気を博す桑田次郎が作画を担当していた。
映像コンテンツの録画や配信が広く一般化した現代と違い、80年代初頭までTVコンテンツは基本的に「放映されたらそれでおしまい」だった。
手に取ってストーリーをなぞれ、ビジュアルを紙で手にできるコミカライズ作品の果たす役割は大きかったのだ。
コミカライズの場合、マンガはあくまで派生作品であり、制作する側も鑑賞する側も「TVの再現」が主目的であった。。
そして70年代に入り、子供向けTVアニメや特撮番組が定着する中で、TVアニメの企画先行でマンガ家が作品を制作するという流れが出てきた。
以下に現在でも人気やシリーズ作品が継続しているTV番組を挙げてみよう。
●仮面ライダー(石森章太郎)
71年4月〜73年2月、全98話
●デビルマン(永井豪)
72年7月〜73年3月、全39話
●マジンガーZ(永井豪)
72年12月〜 74年9月 、全92話
●ゲッターロボ(永井豪/石川賢)
74年4月〜75年5月、全51話
●秘密戦隊ゴレンジャー(石森章太郎)
75年4月〜77年3月、全84話
こうして並べてみると、たった数年間に仮面ライダー、悪魔的ヒーロー、スーパーロボット、複数機変形合体、スーパー戦隊のフォーマットが、全部出揃ってしまっているのが凄まじい。
これらのTV企画先行作品は、マンガ版とTV版の間に「主従関係」は無い。
マンガ家の名前は「原作者」とクレジットされ、ほぼ同時進行で「原作マンガ」も雑誌掲載されたが、必ずしも同一内容ではなく、TV版とマンガ版でそれぞれ別の展開になることも多々あった。
アニメより制約が少ない分、「原作」が暴走し、ほとんど別作品のようになることすらあった。
そして目立って「暴走現象」の起こりやすいマンガ家の系譜として、石森章太郎を起点とする流れが挙げられるが、このことは記事を改めて詳述する。
70年代初頭に生まれた私は、これらの作品を全身に浴びながら育ったと言って良い。
70年代の子供向けエンタメ、サブカル作品は、60年代に一旦進化しつくしたノウハウをリバイバル、パロディ化しながら爛熟していった。
以下にその過程を概観してみよう。
2019年07月21日
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