それと共に雑誌連載マンガは読者を開拓していき、マンガを読む習慣を持つ年齢層は次第に広がり、70年頃には少年誌が青年読者にも購読されるようになった。
その過程は、戦後生まれの団塊世代が物心ついて以来の50〜60年代、マンガ・アニメ・TVの発達と共に消費者として成長し、成人年齢に達してきた歩みともシンクロしているはずだ。
1970年前後の雑誌連載マンガは「受ける」「売れる」ためのテーマやノウハウが一通り出揃った感がある。
質的にも一つのピークをむかえており、後続の作品に多大な影響を及ぼしたものは数多い。
読者の年齢層が上がり、単に「売れる」というにとどまらない「歯ごたえ」が求められるようになった。
必ずしもハッピーエンドにならず、主人公の死や破滅が描かれる作品も数多くあり、さらには70年代初頭の終末ブームの世相を背景に、幾多の「世界滅亡」までが描かれるようになった。
70年代前後に青年層に支持され、「青年の死」や「世界滅亡」が描かれた作品の中で、後続作品に多大な影響を残した例として、以下の四作を挙げてみたい。
以下に制作年と当時の作者の年齢をまとめてみよう。
【カムイ伝】(1964〜71年)
白土三平(32〜39歳)
【幻魔大戦】【新幻魔大戦】(1967年、1971〜74年)
原作:平井和正(29歳、33〜36歳)
マンガ:石森章太郎(29歳、33〜36歳)
【あしたのジョー】(1968〜73年)
原作:高森朝夫=梶原一騎(32〜37歳)
マンガ:ちばてつや(29〜34歳)
【デビルマン】(1972〜73年)
永井豪(27〜28歳)
多少のバラつきはあるものの、以下のような共通点が見受けられる。
・1970年前後に制作され、青年層に支持される。
・シリアスでリアルな展開の末、主人公の「死」が描かれる。
・作品制作中に絵柄がリアルタッチに変化する。
・描き起こされた時点の作者の年齢が三十歳前後。
商業誌のマンガ家やマンガ原作者のデビューは早く、十代から二十代前半であることが多い。
初期には読者と「同年代」的な感性の作品で腕を磨き、実力を蓄積する。
早熟な場合はこの時期からヒットを飛ばす。
そして幾多の淘汰を超え、構成力や画力が向上し、体力的にも充実した三十歳前後のタイミングで、「完全燃焼」の作品が生まれる……
週刊マンガ誌を追っていると、そんなケースを目にすることが多い。
デビューが早く、純粋培養のマンガ家は、「マンガを描く」以外の社会経験に乏しい。
三十歳前後の年齢で一度「元々持っているもの=青少年期の感性」が全部吐き出され、作中の主人公と共に、表現者として一度死ぬ。
それで本当に燃え尽きてしまい、作品が描けなくなるマンガ家も多い。
読者の方も、少年期から青年期にかけて、心の在り方が変化する。
青年はいずれ大人にならざるを得ない。
子供なりに築き上げた「自分」というものが社会に出ることで一度リセットされる、疑似的な死と再生の刻限が迫ってくる。
そうした不安定な時期に、同じようにもがく作者と作品は、心に深く刺さりやすいに違いない。
鮮烈に描かれた「青年の完全燃焼の死の物語」は、民俗を喪失した現代の青年に、一種の「通過儀礼」として機能しているのかもしれないのだ。
少なくとも私には、その心当たりがあった。
とりわけ「主人公の死」と「世界の終り」が同期した「終末サブカルチャー」は、危うい魅力を持っている。
いつの時代も青年は自分しか見えていないものだ。
今の自分が無くなるなら、この世界も無くなってしまえばいい……
ありがちな短絡だが、それを乗り超え、この泥まみれの世の中で、役を演じていけるかどうかが問われることになる。
そこで道を踏み外せば、ピュアであるほど地獄は深くなる。
本物の物語作者は、「死」や「終末」を描いた後に、そのまま読者を放置したりしない。
必ず蘇って「再生」を描く。
先に挙げた作品で言えば、白土三平は後に「カムイ伝 第二部」を描き上げた。
平井和正と石森章太郎は「幻魔大戦」で滅びを描き、「新幻魔大戦」で再生を描いた。
ちばてつやは「ジョー」の直後に「おれは鉄兵」を描き、永井豪は「デビルマン」の直後に「バイオレンスジャック」を描いた。
それらの作品には、前作ほどの衝撃や切れ味はないかもしれない。
それでもしぶとく描かれた作品は、不思議な懐の深さをもって、青年の危機を迎えた読者に「それでも死ぬな。しぶとく生きろ」と語りかけたのである。

サブカルチャー作品の在り様で見る限り、60年代末から70年代初頭にかけて、様々な試みは既に「一周」してしまっている。
70年代も中盤以降はリバイバル、バリエーション、そしてパロディの周回に突入しており、そこには新たな顧客層が用意されていた。
50〜60年代サブカルを存分に浴びて育った団塊世代が成人し、「団塊ジュニア」が巨大なボリュームゾーンとして産み落とされた。
以後のサブカルチャーは団塊ジュニアによって消費されながら、TVを中心に咲き乱れていくことになる。
そして大枠で言えば、私自身もその真っ只中で成育歴を重ねてきたのだ。
(70年代サブカル前史:戦後〜60年代編、了)