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2020年04月10日

暴走する石森DNA

 60年代半ば以降、戦後の子供向けサブカルの「神」であった手塚治虫が一度失速し、SFジャンル自体の人気も縮小する中、その後継者となったのが石森章太郎だった。

 石森章太郎(本名、小野寺)は1938年、宮城県生まれ。
 映画監督志望だったが、手塚「新宝島」に衝撃を受け、早くからマンガを描き始める。
 中学時代にマンガ投稿や同人活動を開始、高校時代には「漫画少年」投稿により、全国のマンガ少年の間でその名が知られるようになる。
 その中の一人に後に原作提供でコンビを組む平井和正がおり、同学年の「天才」の活躍を誌上で知ってマンガ家志望を断念、小説へ的を絞ったという。
 高校在学中に手塚治虫に見いだされ、54年雑誌デビュー。
 翌年高校を卒業して上京後は、トキワ荘グループの中でも早くから実力を認められ、すぐに仕事は軌道に乗った。


●「サイボーグ009」(64〜69年)
 作者初の「エンタメ」を意識した作品とされる。
 サイボーグ化により特殊能力を与えられた各国代表(野球を思わせる九人チーム)が、一丸となって超国家的テロ組織と戦うという構図は、今見ても最先端を感じさせる。
 SFに「チームバトル」の要素を取り入れた中では最初期にあたる作品ではないだろうか。
 掲載誌を変えながら執筆は続けられ、69年の終末的な「天使編」で、佳境に入りかけた所で中断。
 その後も断続的に新エピソードが発表されたが、「天使編」完結が石森自身の手で描かれることはついになかった。


 70年代サブカルチャーの流行の一つに「終末ブーム」があった。
 五島勉「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)が刊行されたのが73年で、同時代には少年マンガの世界でも「人類滅亡」が数多く描かれた。
 中でも週刊少年マンガ誌における同テーマの嚆矢となったのが「幻魔大戦」(原作:平井和正、マンガ:石森章太郎)である。
 平井和正は元々SF作家としてデビューした後、60年代の「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
 ヒット作「サイボーグ009」の石森章太郎とのコンビで執筆された「幻魔大戦」は、年代的に「エイトマン」終了後の次なる意欲作にあたっていたのではないだろうか。


●「幻魔大戦」(67年、週刊少年マガジン連載)
 光と闇の戦いというテーマを超能力SFで描いた元祖のような作品である。
 宇宙規模の破壊者である「幻魔」と、地球の超能力集団の戦いを描いたこの作品は、そもそもその設定から「勝てるわけがない」物語であった。
 少年マンガの敵役は、通常は味方側の成長と共に、競うように強さを増していくものだ。
 物語にドライブがかかると「強さのインフレ」」と呼ばれる現象が起こり、結果的に「宇宙大の悪」と戦う羽目になってしまったりもするが、それはあくまで順を追った結果のことだ。
 たとえば「ドラゴンボール」で、連載開始当初の幼い悟空の前に、いきなりセルや魔人ブウが現れたらどうなるだろうか?
 いくらサイヤ人の子供でも、勝てるわけがないのである。
 本作「幻魔大戦」の設定は、今読み返すとそのくらいのレベルでメチャクチャなのだ。
 そんな圧倒的な戦況の中、主人公・東丈をはじめとする地球の超能力者集団は、内部抗争を繰り返しながらも成長し、幻魔の地球方面司令官シグを引っ張り出すまでに健闘するが、シグによって月が落下してくる「終末イメージ」の中で、マンガ版はいったん打ち切りにより終了する。
 はっきり地球が滅びた描写はないものの、他の解釈があり得ないほど彼我の戦力差は歴然としており、他に解釈のしようのない衝撃的なラストシーンだった。

 残念ながら連載中はヒットとはならなかった本作だが、根強い人気と平井/石森の思い入れの強さにより、数年置いて執筆された続編では、一旦物語は仕切り直されている。


●「新幻魔大戦」(71〜74年、SFマガジン連載)
 そもそも勝てるわけがない強大過ぎる敵の設定は、壮大な「幻魔宇宙」のビッグバンを起こす起爆剤になった。
 一つの世界で勝てないなら、歴史改変によって無限のパラレルワールドを分岐させ、勝つまで戦ってしまえばいい。
 そんな発想のもとに描かれた新作は、物語を一旦大幅に巻き戻した。
 幻魔により一瞬で滅ぼされた世界の一人の少女が、時間跳躍能力により「勝てる地球」を作ろうとする壮大なスケールの作品に成長したのだ。
 ここでは最初の「幻魔大戦」の物語は、幻魔に勝利するために試作されたパラレルワールドの一つに組み込まれることになる。
 今でこそこうした「歴史改変」ストーリーは珍しくないが、70年代初頭にこのスケールで描いた平井の先見性は凄まじい。
 この時期の石森は大人向け作品の制作を開始しており、前作より大幅に絵の密度が上がっていることも、特色として挙げられる。
 原作は小説形式で執筆されており、マンガの中で文章の占めるパートが大きい「絵物語」的な表現形式である。(後に原作自体も平井和正の小説版として刊行)

 原典になった70年代前後の二作以降、原作者の平井和正の小説版、石森章太郎のマンガ版はそれぞれ別に描かれることになる。
 石森マンガ版は1979年〜1981年、雑誌「リュウ」連載。
 平井小説版は1979年〜86年頃まで執筆され、中断。
 1983年には序盤ストーリーが角川アニメ第一作として劇場作品にもなっており、「ハルマゲドン」という言葉が一般化するきっかけとなり、私が本作と出会ったのはそのタイミングだった。


 70年代の私の最初の「石森ショック」は、マンガ版の「仮面ライダー」だった。

【文明批評SFマンガの復権】
 子供の頃、アニメや特撮番組を低年齢向けマンガにした作品が好きで、よく読んでいた。
 70年代、そうしたコミカライズ作品制作が、一つのピークに達していた時のことである。
 当時はあまり厳密に「原作と派生作品」の関係は意識しておらず、マンガのTV化もTVのマンガ化もとくに区別はしていなかったはずだ。
 色々区別なく読み進める中で、たまに少々雰囲気の違うマンガが紛れ込んでいることには気付いていた。
 一応TV番組と同一タイトル、同一基本設定でありながら、内容が「TVとちがってちょっと怖い」感じがする一群のマンガ作品があったのだ。
 最初に意識したのは「仮面ライダー」あたりだったと思う。
 その頃の私は山田ゴロ版を愛読していたが、「原作者」石森章太郎が自らペンをとったバージョンも読んでいた。
 山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってある感じはした。
 ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は、子供心にも「これは別物!」という印象を持ったのだ。
 まず絵柄がちょっと怖かった。
 既に「大人向けマンガ対応」を済ませていた石森の描線はかなり緻密で、画面も暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
 内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスなSFとして真っ向から描かれており、文明批判的な描写も多く、なんとなく「これ子供が読んでもいいのか?」と思ったのを覚えている。
 当時の石森章太郎は多くのTVヒーローの「原案」を担当しながら、自ら執筆したマンガ版では「独自展開でシリアスなSFを描く」というパターンで数々の作品を世に出している。
 仮面ライダーと同様、「暴走」とも思えるほどのTV版からの逸脱ぶりで強烈な内容になった作品は数多く、「人造人間キカイダー」や「イナズマン」「ロボット刑事」あたりは今読んでもかなり面白い。




 変身ヒーロー70年代的元祖である「仮面ライダー」以降の一連の作品は「TV企画先行」の嚆矢でもあった。
 スタート地点ではバトル要素を前面に押し出し、「オモチャや関連グッズを売るための30分CM」でありながら、そこにSFマインドや文明批評を織り込んで復権させた功績は多大である。

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 その石森のアシスタントを務めていた永井豪、そして永井豪のアシスタントの石川賢と続く系譜は、連綿と「TVアニメで広く人気を獲得し、マンガ版でストーリーを暴走させるDNA」をつないでいったのだ。
posted by 九郎 at 22:24| Comment(0) | 青春ハルマゲドン70s | 更新情報をチェックする
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