70年代後半だと、まだまだマンガに対する世間の評価は低かった。
いくら人気があってもあくまで「サブカルチャー」であり、美術や図工の教科書には決して載らず、授業課題でマンガっぽい絵を描こうものなら注意を受ける時代だった。
それでも当時の小学生の親世代がマンガ育ちなせいもあり、「OKなマンガ」という領域が生じつつあった。
手塚作品や藤子不二雄作品はけっこうOKで、「はだしのゲン」は学校図書室でも読めるマンガ、後は各種「学習マンガ」の類がOKだった。
これは世代を超えた共通の条件になると思うが、お小遣い頼みの小学生のサブカルは、「親の同意」という要素が常に付きまとう。
いくら子供がハマっても、スポンサーが出資してくれるものでなければ商品として売れないのだ。
そういう意味では「子供が読みたい」と「親が買ってくれる」領域がうまく重なったのが、「学習マンガ」というジャンルだったのだろう。
子供は意外と「科学」「宇宙」「生命」「進化」「歴史」みたいな大きなテーマが好きで、当時はそうしたテーマをわりときちんとした内容で扱うマンガの市場が形成された時期だった。
中でも72年スタートの「学研漫画ひみつシリーズ」は人気で、初期名作「宇宙のひみつ」「恐竜のひみつ」「昆虫のひみつ」あたりは今でもよく覚えている。
団塊ジュニア需要に後押しされた当時の学研の勢いは凄まじく、私の身の回りの「小学館の学習雑誌」読者は、学年が進むと共に「学研の科学と学習」に鞍替えするケースが多かった。
何と言っても付録の品質が段違いだった。
紙製ですぐ壊れる「小学〇年生」の付録に対し、「科学と学習」ではプラ製の、わりとしっかりした実験用具や模型などが毎号ついていた。
雑誌の内容もマンガも載っていたがかなり「勉強」よりで、スポンサーである親の納得が得られやすかったのではないかと思う。
付録では縄文土器の制作セットや遣唐使船の模型が記憶に残っていて、直販スタイルの「学研のおばさん」が毎月届けてくれるのが本当に楽しみだった。
学研では、図鑑シリーズも好きだった。
何冊か買ってもらっていたが、「大むかしの動物」「人とからだ」が特にお気に入りだった。
恐竜だけでなく古生物全般を、時代の流れとともにパノラマで紹介した「大むかしの動物」は、今思うと絵がブリアン等のパクりだったと思うが、当時は図像の引用にはまだまだ寛容(またはルーズ)な時代だった。
過去の優れた図像を踏襲するのは「博物画」というジャンルの伝統でもあるので、今の感覚とは分けて考えた方が良いと思う。
もう一つの「人とからだ」の方も、写真、イラスト共に面白いものが満載だった。
まるで宇宙船のメカニックのように精緻な眼球や内蔵の断面図や、荒野に立つ血管だけで描かれた男性像、足元にはゼリーのような血球が転がっている迫力満点のイラストに、二才下の弟とともに興奮しながらページをくっていたのを思い出す。
それが生ョ範義の筆によるものと知ったのは、ずっと後になってからのことだった。
両親が共産党支持だったので、赤旗日曜版と提携していた「少年少女新聞」掲載の、井尻正二/伊藤章夫「科学まんがシリーズ」もよく読んでいた。
古生物や生物の体の仕組みを扱った「いばるな恐竜ぼくの孫」「先祖をたずねて億万年」「ぼくには毛もあるヘソもある」「キネズミさんからヒトがでる」「ドクターカックは大博士」等、当時の私の趣味にぴったりだった。
これらのマンガを読み込んでいたおかげで、私は大学入試に至るまで生物の授業で苦労せずに済んだ(笑)
少し下って80年代初頭には、小学館「少年少女日本の歴史」、赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ数学教室」(シリーズ化)が刊行され、私の世代は随分楽に勉強できる環境があったのではないかと思う。
同時代では民放TVアニメでも「親と子供の利害が一致」していた番組があった。
75年放映開始の「まんが日本昔ばなし」と「世界名作劇場」である。
名作劇場で私たちの中で連続性があるのは、74年の「アルプスの少女ハイジ」以降、「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「あらいぐまラスカル」「ペリーヌ物語」「赤毛のアン」、そして80年の「トム・ソーヤーの冒険」以後も長くシリーズは続いた。
私も含め、これらのTVアニメを間口にしてオーソドックスな読書の魅力を知った子供は多数にのぼるだろう。
こうした恵まれたサブカル環境は、当時の作り手の志の高さももちろんあるが、つまるところは「団塊ジュニア需要」に支えられていたのだと思う。
2020年07月18日
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