完全なる「作り話」であることを、作者も読者も了解した上で、それでも「怖い」と感じさせるのは、表現としてかなり高度だ。
前回記事で紹介した、実録テイストの怖さを武器としたつのだじろう作品とは、また別種の恐怖創作技術が必要になってくる。
マンガの世界で「純粋に虚構の恐怖」を描き続けた第一人者としては、やはり楳図かずおの名が挙げられるだろう。
ただ、私は母親が楳図かずお嫌いだったというスポンサー事情もあり、ほとんど読まずに通過してしまっていた(笑)
魅力に気付いたのはずっと後になってからのことで、それも「わたしは慎吾」「14歳」などの一連のSF作品からのことだった。
それ以前の「恐怖マンガ」を遡って手に取った頃には大人になってしまっていた。
幼児が昆虫の足を引きちぎるような無邪気な残酷さを、そのまま「表現」にまで昇華したような楳図マンガの世界。
おりしも70年代後半は、恐怖と怪奇の世界をさらに突き抜けた「まことちゃん」(76年〜)の全盛期である。
子供時代の「適齢期」に体感できなかったのは、少しもったいなかったと思う。
そもそも私のマンガ原体験は、手塚治虫や藤子F不二雄のクールでロジカルなSFから始まったので、ドロドロと怨念や理不尽が渦巻く恐怖マンガの世界には、あまり馴染みが無かった。
それでも子供なりの「怖いもの見たさ」はあったので、コロコロコミック等にたまにのっていた恐怖マンガ作品を、チラ見してはいた。
そうした読み切り短編の中には、本当に怖くて今でも記憶に残っているものがある。
今ネットで調べてみると、やはり当時の子供たちの間で、「伝説」として語りつがれているようだ。
検索用に以下にメモしておくタイトルと作者名だけでも、「あ! それ知ってる!」と、あの頃の恐怖がよみがえってくる人は多いだろう。
●「蛙少年ガマのたたり」よしかわ進
●「地獄の招待状」槇村ただし
マンガやアニメ作品の好みとしてはSFだったが、ごく普通の小学生男子としての私の日常生活は、いかにも小学生男子的な、怪しくもおバカなもので、それは理不尽と怖さの渦巻く怪奇マンガとも親和性の強いものであった。
口裂け女が日本中で大流行になったのが79年のこと。
私の周囲でも、TV等で大々的に取り上げられる少し前から、子供の間で密かに噂になっていた。
放課後、学校に残って少し遊んでから帰る段になった時、クラスの女子たちが何事かヒソヒソと話し込んでいて、通りかかった私は呼び止められた。
抑えた声ながら興奮した様子で、口々に何かをしゃべってくるのだが要領を得ない。
どうやら「口裂け女」という不審者だか妖怪だかが徘徊しているので気を付けるように、と言っているらしい。
内容はよくわからないものの、なんとなく不気味さと怖さを感じながら小走りに帰宅したことを覚えている。
その後も不確かながら、「マスクをした口裂け女に気を付けろ」という情報だけが駆け巡っていた。
後から考えるとこの段階が一番怖かったような気がする。
TVで紹介されたりマンガになったりし始めてからは、なんとなく「正体が分かった」感じがして、怖いというよりちょっと面白くなっていた。
おバカな私たちのグループは、竹の30センチ定規で武闘訓練を行い、逃走経路を綿密に検討したりしていたものだ。
そしてそんな騒ぎも、半年もたたないうちにみんな忘れ去った。
あと、地味に恐れられていたのが「コトリ」だった。
はじめは「小鳥? なにそれ」という感じで、名前の響きからなんとなく鳥のモンスター的なものを想像して恐れていた。
コトリが実は「子盗り」だとわかったのはずっと後のことだ。
柳田国男の著書でも触れられていて、単なる「人攫い」の範囲を超えた、わりと歴史の遡れる妖怪的な存在であるらしい。
近年になって、子供の頃のイメージで立体造形にしてみたこともある(笑)
怪人コトリ 前編
怪人コトリ 後編
他にも、下半身を露出したおっさんだとか、味海苔の透明の容器にマムシを入れて持ち歩き、公園や神社で会話を楽しむおばあちゃんたちを追い回すじじいだとか、色んなモンスターが子どもの生活風景の中には紛れ込んでいて、怪奇な雰囲気を醸し出していた。
空想と現実が混然一体となって、楳図かずお的な怪奇な雰囲気が日常の中にも紛れ込んでいたのだ。
そこから学んだり身に付けたりしたことも、たくさんあったのではないかと思う。
2020年08月01日
この記事へのコメント
コメントを書く