2020年09月04日

70年代後半「宇宙戦艦ヤマト」リアル表現の衝撃

 幼児の頃のロボダッチから始まった私のプラモ制作は、小学生になると多少技術が上がった。
 それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
 今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。
 平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。
 接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。

 74年のTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は放映時の視聴率は振るわなかったものの、70年代半ばを過ぎてから人気が上がり、77年に劇場版が公開された前後には再放送が何周か回っていたはずだ。
 当時の記憶の断片に、私が幼児期に昼間の時間を過ごしていた祖父母の家のTVで、「地球滅亡まであと〇〇〇日!」という例のエンディングを観ているシーンが残っている。
 その頃通っていた幼稚園の園長室の前に、宇宙戦艦ではない方の「戦艦大和」の大きな模型が飾ってあり、そこの廊下まで粘土板と油粘土をもっていって、目の前で見ながら作っていたことも覚えている。
 子供心に「ヤマト」と「大和」が違うことは認識していた。
 アニメ作中で、赤茶けた「大和」の残骸から、脱皮するように「ヤマト」が発進するシーンの印象は強烈だったのだ。
 一応違いは認識しながらも、つもりとしては「宇宙戦艦」の方を作りたかったので、園長室の模型はあくまで参考資料だった。
 自分の粘土作品の方には、先端部分に波動砲の穴をグリグリ開けたり、あちこちに戦艦大和には存在しない「角」をつけたりしていた。
 当時「角」と呼んでいたスタビライザーは、実用性はさておき、SFっぽい意匠としてとにかくカッコよく見えた。
 ただこの「角」は粘土で作るとへたりやすくて、自立させるためにはかなり太く野暮ったく作らねばならず、子供心に無念を感じていた。
 艦底に釣り下がる第三艦橋が作れなかったのも残念だった。
 実在の戦艦大和を元に「リアル」を担保し、SF的な洗練された雰囲気を加味するというデザイン意図は、幼児にもほぼ正確に伝わっていたのだ。
 今思うと、大和の残骸から脱皮するあの鮮烈なヤマトの発進シーンは、物語の構図やデザインの方向性を一発で伝える、絶妙の演出だったのだと分かる。
 実在の兵器を元にしたリアルと、SF的な再構成という構図は、「ヤマト」の作品全編を通じて巧みに使用されている。

 粘土で作っていた幼児期を過ぎ、小学校に入ってからはぼちぼちヤマトのプラモデル作りにハマっていった。
 あらためて確認すると、それは第二作の白色彗星帝国編が流行っていた時期と重なっていたようだ。
 当時の私のヤマトプラモの買い方は、まずは普段のお小遣いで100円のメカコレクションを集めることから始まった。
 少しお金が貯まったり、誕生日などの機会には、500円から1000円くらいの値段帯のものをいくつか入手でき、それ以上の高額プラモも買えるのは、お年玉などの臨時収入があった時に限られた。
 あの頃のプラモ好きの小学生は、みんな大体似たような感じだったと思う。
 小サイズのメカコレは成型色一色の仕様だったが、大きいサイズのプラモは一部色分けされている場合があり、高級感があった。
 今のプラモの色分けはプラスティック自体の成型色で分けられているが、昔は吹き付け塗装がしてあり、たとえば主役戦艦のヤマトなら、艦体の下半分が赤で塗られた状態で製品化されていた。
 アニメ作中のイメージが製品の素の状態で再現されているのは嬉しかったが、この吹き付け塗装というのがけっこう難物で、うまく組み立てないと接着剤で塗料が溶け出してきてグチャグチャになってしまうことがあった。
 接着剤の使用は最小限に、なるべくキットの素の状態を活かしながら組み上げ、必要であれば一部塗装するのが、当時のヤマトプラモ制作の定番スタイルだった。

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(写真は70年代当時一箱百円だったプラモの再販品を、近年組立・着色したもの)

 ヤマトプラモの一番の魅力は、アニメ作中のメカの高い再現度にあった。
 それまでのアニメプラモは、超合金等の玩具の廉価版という位置づけにあり、形状もかなり玩具的にアレンジされたものが多かった。
 それに対してヤマトプラモは、リアルなアニメ作中のデザインをそのまま再現してあり、小学校高学年以上、中高生の審美眼にも十分耐えうるものだったのだ。
 この時期のヤマトプラモブームにより、私は超合金等の完成品玩具からは、完全に卒業してしまった。
 元々物作りが好きだったので、自分で手を動かして作るキャラクタープラモの魅力に憑りつかれ、一気に興味を失ってしまったのだ。
 クリスマスや誕生日の時期、超合金に比べるとはるかに安価なプラモを欲しがる私に、ちょっと拍子抜けしたような表情を浮かべる母親の姿を、なんとなく覚えている。

 ヤマトプラモの思い出の中では、何と言っても当時発売されていた最大サイズのものを作ったことが記憶に残っている。
 行きつけのプラモ屋の棚の最上段、いつもチラチラ気になる巨大な箱があった。
 心のどこかに、幼稚園に置いてあった「戦艦大和」の巨大模型への憧れが残留していたのかもしれない。
 今試みに探してみると、たぶん以下のものと同一モデルだ。


●「1/500 ニューコズミックヤマト」
 当時の定価は忘れもしない3500円。
 温存していたお年玉の入った封筒を手に、プラモ屋のおばちゃんに脚立を使って最上段から取ってもらい、一年間ぐらいずっと欲しかったこのプラモをついに手に入れた。
 たぶん小学校三年から四年くらいのことである。
 私は子供の頃から割と生真面目な慎重派だったので、その巨大ヤマトを購入するまでに、自分なりに「修行」を積んでいた。
 100円のメカコレで細かい部品の接着や一部塗装を練習し、1000円くらいまでのモデルで、サイズの大きなパーツや、吹き付け塗装パーツの接着を練習した。
 自分なりに「今ならヤツを完成できる!」と自信ができるまでに一年ぐらいかかったのだ。
 執念深く狙っていた最上段のプラモは、さすがにデカ過ぎ高過ぎで、売れずに残っていてくれた。
 そして私は小学生なりに持てる技術の全てを注ぎ込み、両手で抱える程の巨大なヤマトは完成した。
 作っている間、そして完成の瞬間までの至福の時間は、今でも鮮明に覚えている。
 その時なんとなく理解できたのは、私が本当に欲しいのはプラモ自体ではなく、「そのプラモを上手く作ることができる自分」を求めているのだということだった。
 こうした傾向は、今も全く変わらず続いている。

 それだけハマったヤマトプラモだったが、私の「熱」はこの後急速に去っていった。
 その理由は、一つには最上級モデルを完成させてしまった達成感だっただろうし、さらには次のムーブメントである「ガンプラブーム」が始まりかけていたこともある。

 何より大きかったのは、実在の「大和」とアニメの「ヤマト」の微妙な関係に、そろそろ気づきはじめる年齢にさしかかっていたことである。 
posted by 九郎 at 23:23| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする
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