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2020年12月13日

川奈まり子「一〇八怪談 鬼姫」2

(川奈まり子「一〇八怪談 鬼姫」レビュー、続き)

 第八六話「仏壇と背中合わせ」
 本書の多くのエピソードを読み進めると、何度か「これ自分のこと?」と思うような怪異譚に出会う。
 そんな中の一つ。
 私の母方の祖父も大工で、元は「田の字」だったはずの家は増築に次ぐ増築で、元より斜面地の家屋だったせいもあり、複雑怪奇な造りになっていた。
 さすがにトイレは外付け。
 泊まって夜中に尿意で目覚めた時には、木彫りが趣味だった祖父の彫った仏像や龍が多数並ぶ玄関を通らねばならず、非常に怖かった。

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 お盆に泊まった折、恐々その玄関を抜けて外に出ると、生まれてはじめて見る綺麗な天の川に茫然としたことなど、今でも覚えている。

 第八九〜九二話、および閑話休題
 蛇「くちなわ」にまつわるエピソード。
 読後、「竜女」という伝承を思い出す。
 竜女については、出口王仁三郎「霊界物語」に簡潔な記述がある。
 霊界物語は大正〜昭和期に口述筆記された新宗教の教典であるが、出口王仁三郎は当時の諸宗教、民俗に極めて博識で、通念としての「竜女」のよくまとまった記述になっていると思う。

(第一巻十七章より一部引用)
 本来竜女なるものは、海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、はじめて人間界に生れ出づるものである。その竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へるか、いづれにしても男女の交りを絶ち、聖浄な生活を送らねばならないのである。もしこの禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて再び竜体に堕落する。従つて竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある。かかる竜女に対して種々の人間界の情実、義理、人情等によつて、強て竜女を犯し、また犯さしめるならば、それらの人は竜神よりの恨をうけ、その復讐に会はずにはゐられない。通例竜女を犯す場合は、その夫婦の縁は決して安全に永続するものではなく、夫は大抵は夭死し、女は幾度縁をかゆるとも、同じやうな悲劇を繰返し、犯したものは子孫末代まで、竜神の祟りを受けて苦しまねばならぬ。
(以下略)


 現代の社会通念ではもちろん違和感があるが、克服しがたい病や生い立ちの困難の、ぎりぎりの受け入れ方の一つとして、昔はこのような伝承が機能していたのではないだろうか。
 これを現代社会で但し書き無しにそのまま読めば、当然それは「迷信」「因習」「差別」になり、「呪い」にすらなり得る。
 医療や福祉、社会基盤の整備、人権意識の啓発で救済することを目指すのが、「近代」というものであろうと思う。

 閑話休題「いっぱい憑いてる」
 ある研究者から「おもしろいものがいっぱい憑いている」と評された著者。
 その憑き物は、著者に波長の合う者には「良い影響」を与えると言う。

 一読者として、私も「良い影響」のおすそわけをいただけているかもしれない。

 第九八話「三途の川の渡し舟」
 子供の頃からなんとなく脳裏に浮かび、夜寝る前に思い出しては怖くなる、そんな仄暗いイメージがいくつかある。
 その中の一つに「夜間、虚空を漕いでくる死人の舟」というものがあり、このエピソードを読んですぐ思い出した。
 なんでそんなおかしな空想をしていたのか、自分でもよくわからなかったのだが、イメージソースの一つはTVアニメ「ドロロンえん魔くん」に登場した「まどろ眠」という妖怪ではないかと、今気付いた。
 作中の創作妖怪「まどろ眠」は、船頭になった琵琶法師のような姿で、人間を深い眠りに誘う白い霧の中を小舟で漕いでくる。
 霧の中には巨大な鮫の妖怪も泳いでくる。
 子供の頃、その映像がものすごく恐ろしく、夜眠れなかったことがあったのだ。
 何か深層意識に刺さるものがあったのだろう。
 後に描いたマンガの中に、「死人の舟」の奇怪なイメージを使ったこともある。

 投稿マヴォ「夜鳴き」より

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 その後もずっと気になっていて、折にふれ、類するものは調べたり作ったり描いたりしてきた。

友ヶ島年代記6 中世淡嶋願人
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補陀落
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補陀落渡海船
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「船出」MBM紙 木炭 パステル
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 今回「三途の川の渡し舟」エピソードで、「病院に漕ぎいる幻の舟」「定員三人」という、気になるモチーフに出会った。
 いずれまた、何か描くことになるかもしれない。

 第一〇三話「仁王像と猫」
 危機的状況を猫に救われた少女のエピソード。
 屋外で見かける猫やカラス等の高知能の生き物は、注意を向けていると、向こうから色々サインを送って来ているかに思えることがある。
 もしかしたら自分の思考が生き物の表情に反映されているだけなのかもしれないが、ともかくそのように感じることはある。
 このエピソードの猫は「そんな気がする」と言う水準ではなく、明らかに意思疎通しているように感じられ、不思議である。

 川奈作品の多くのエピソードを読み、それに引き出されるように自分の(はっきり「怪」と言うほどではない)体験を思い出してみると、怪異現象は全般に「偶発的な自然現象」と似た所があると感じる。
 そちらにチューニングを合わせていなければ出会う頻度は低くなるし、普段から注意を払っていればよく出会う。
 感覚的には「虹をよく見る人は怪異もよく見る」という傾向がありそうに思う。

 そして最終話「鬼姫」へ。
 著者自身の怪異譚から歴史上のエピソードへと広がり、一〇八つの物語の幕は閉じる。
 多くの聞き取りの集積でありながら、著者の怪異がそれをやんわり包み込み、歴史へと繋がるこの感覚は、川奈作品の醍醐味でもある。


 コロナ禍が猛威を振るい、今現在も感染拡大が留まるところを知らない2020年末。
 仕事は在宅に、子供たちは休校になった今年前半からの流れで、自分の置かれた現在の状況、そしてこれまでの半生を振り返ることの多い一年だった。
 夏以降も続く思うに任せぬ日々の中、子供らと学び、遊び、淡々とスケッチを続け、色々ともの想うかたわらにこの本があったことは、良い巡り合わせだったと思う。
posted by 九郎 at 10:26| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする
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