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2020年12月14日

疫病と暴虐とマスク

 コロナ禍で三月から休校が始まり、四〜五月の自粛期間中、奇妙な夢を見た。
 短いストーリーからキャラクターデザイン、名称まで一通り揃っており、夢を見てから時間を置かず「夢マンガ」に変換した。

 投稿マヴォ「飛沫監視員」

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 その後、以下のような関連する夢を見た。(こちらは作品化していない)

 気が付くと中高の頃に通っていた虐待指導の学校に、もう一度戻ってしまっていた。
 地獄の極卒のような教師が、他の生徒に暴力をふるっている。
 教室内は静まり返り、殴りつける音だけが響いている。
 俺はいつ自分の番が回ってくるかと恐怖に震えている。

 昔と違うところもあった。
 意識も能力も、中身は今の俺なのだ。

「今度はやられっぱなしちゃうぞ。見とけよこら!」

 そんな風に反撃の機会をうかがっていたのだ……



 間違いなくコロナ禍の現実が反映された夢である。
 危険な感染症に対し、当時の安倍政権はあまりに無策、場当たりであり、「補給も無しに前線に玉砕を強いる」という、旧日本軍の愚昧をそのまま再現していた。(これは現在の菅政権でも同様)
 戦前回帰的な虐待を強制される心象が、夢の中で過去の記憶を呼び覚ましたのだろう。

 今度の敵は昔よりはるかに強力になっているけれども、潜在意識で気合負けしてないことが確認されて、満足な夢見でもあった。


 中高生の頃、よく奇怪な夢を見た。
 二十歳代半ばの頃、よく奇怪な夢を見た。
 それらの夢の多くは、カテゴリで紹介してきた。

 中高生の頃は虐待指導を受けていた時期であり、二十歳代半ばは阪神淡路大震災で被災していた前後だった。
 どちらも現実が過酷な時期だった。

 昨年から継続して読み、このカテゴリ怪異でも紹介してきた川奈まり子作品には、こうした年代の怪異体験が多く収録されていた。
 何かと抑圧の多い人生の一時期であり、私の場合はそれが「夢」の形をとって現れていたのかもしれない。
 私が実際の犯罪や心の病に至らなかったのにはいくつかの要素が考えられ、「創作」「夢」「剣道」あたりに安全弁があったのではないかと言う自己分析は、これまでにも何度か書いてきた。
 
 そしてこれはコロナ禍以前からのことであるが、私もその上限あたりに引っかかっている「団塊ジュニア」「ロスジェネ世代」が、自身の人生を振り返る中で、怪異体験を語り始める流れがあるらしいことは、過去記事で紹介した。

 怪異とロスジェネ

 私にとってのコロナ禍は、もちろん減収要因であったと同時に、自分の持てる能力を全開にして戦える契機でもあった。
 絵や工作の指導経験は、子供たちの休校中の外出自粛生活を乗り切るために、もちろん役に立った。
 中高生の頃、虐待指導で叩き込まれた受験技術ですら、子供たちの家庭学習に役立てることができた。
 SNSで交流のある皆さんとのやりとりにも大いに啓発され、励まされた。

 一年前には想像もできなかった生活の変化が起こった。
 家庭の外ではマスクを着用することが日常になるなど、誰一人想像していなかったのではないだろうか?
 不自由を感じる一方で、根っこの部分で孤独癖のある私は、普段から顔の半分を隠せることに、「安楽」を感じている部分もある。
 通常の学校生活になじめない児童生徒の中には、休校やマスク常時着用に救いを感じる子らも多いことだろう。
 仮面で素顔を半分隠すことは、素顔で何かを演じ続けるより、はるかに「楽」なのだ。

 コロナ禍はまだまだこれからが本番になるのだろうけれども、この一年、考え、描き、感じたことを武器に、乗り切って行きたいと思う。

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posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする
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