秋のお彼岸が過ぎ行く中、川奈まり子「東京をんな語り」を再読した顛末は、前回記事で紹介した。
その中で、私が長年見続けてきた悪夢についても少し触れた。
暴力教師が荒れ狂う教室に引き戻されてしまう夢で、年齢とともに頻度は落ちてきたが、何十年も断続的に見続けていたのだ。
同じ学校の卒業生に同様のケースを語る者は多いのだが、私については昨年ようやく「決着」の夢を見て、以後は解放され見なくなった。
印象深い夢だったので、その後マンガに描いた。
(以後、画像はクリックすると大きくなります)
現実の世界と紛らわしく、もう一つの並行世界を感じさせる夢はよく見る。
長く連絡をとっていない友人の訃報の夢を見て、すっかりそのつもりになってしまっていて、それからだいぶ経ってその友人から連絡が来て混乱したこともあった(笑)
向こうから連絡がなければそのまま亡くなった扱いで、他の友人にも伝えてしまっていたかもしれない。
この年になると実際に亡くなった知己もけっこういるので、たまに混乱してしまう。
そんな体験をマンガに描いたこともある。
はっきりと亡くなったとわかっている知り合いが夢に出てくることもある。
こちらの夢の場合、数年前に若い頃世話になった師匠の死に目に会えなかったことが、こうした「召喚の夢」を見させたのだろう。
これらの夢マンガは他の夢とともに全32ページにまとめ、投稿サイトに掲載していただいている。
投稿マヴォ:怪しき夢路
今年に入ってからなぜか突然マンガが描けだして、それも再会したかった何者かを召喚するタイプの作品が続く不思議があった。
その中には「幼い頃の自分の召喚」も含まれていて、弱視児童だった頃のことも描いた。
マンガ「最初の修行」
(リンク先で全10ページ読めます)
記憶の底に眠る感情を掘り返すことで、鎮魂される何かを強く感じた。
今年(私にしては)ハイペースでマンガが描けるようになったきっかけが、以下の作品だった。
マンガ「カーニバル」前半9ページ
マンガ「カーニバル」後半9ページ
これも「死者の召喚」、それも死者の側からの一人称で「この世」を眺めた作品だった。
今年は彼岸花の開花とともに川奈まり子「東京をんな語り」という極上の「召喚モノ語り」を再読し、今後自分が求めている表現の方向に思いを巡らす秋のお彼岸だった。
2021年09月23日
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