二十代の頃、教えてもらった師匠のことについては、これまでにも何度か記事にしてきた。
90年代の師匠Nさんについて1
90年代の師匠Nさんについて2
90年代の師匠Nさんについて3
90年代の師匠Nさんについて4
年を忘れつ師を想う
昨日の記事でも、亡くなった師匠が夢枕に立った件を紹介した。
夢と召喚と鎮魂
今たぶん、二十代の頃教わった師匠と年が同じくらい。
描いてると、当時言われたことを全部思い出す。
師匠の「如是我聞」については、twitterの方で思い出すままに呟いてきた。
以下に採録しておこう。
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「描けている時に変に間をおいたらあかん。少々不義理しても描けるだけ描いておくべし。明日ばったり描けなくなることもある」
「illustrateは元々『説明する』ことなので、まず何より求められる条件、要素を盛り込み、きちんと分かりやすく見せなければならない。そういう骨格があった上での「絵心」だから、構成や下描に時間と労力を注ぎ込むこと。そこさえしっかりしていれば修整は効く」
「イラストは精進や知識、資料の蓄積が直接結果に結び付き易い。ある意味、裏切られない。絵画は怖い。少しでも努力や手間頼みが入ると逃げていく」
「イラストを見やすくするには適度に省略を入れて緩急が大事。ただ、描けないうちから省略の真似事をするとスカスカになる。自然に省略できるようになるまでは、一回みっしり描き込んでから引き算した方が良い。描き込んだ密度をたもったまま、すっきりと省略する」
この教えを聞いた時、「あ、これ武道と一緒やな」と思った。
最初は大きく正確に威力を高め、後に威力はたもったままコンパクトな動きに洗練する。
なかなかそこまでできんのですがw
イラストの省略表現や仕上げについて、師匠は俺にあまりうるさく言わなかった。
下調べや下描きをしっかりすることには、少しだけ厳しかった。
叱られはしないけれども、俺が甘いことをやっていると、忙しい師匠が代わりにやってしまうので、かえって堪えた。
俺は中高生の頃、私立の中堅受験校で戦前まがいの虐待指導を受けたせいもあり、厳しくされないと怠けてしまう奴隷根性が染みついて、二十歳過ぎても抜けきっていなかった。
師匠は俺に「絵描きの矜持」を、身をもって示してくれた。
むかし師匠は俺に対して、「実力のちょっと上」あたりを「おまえ、もちろんできるんやろ?」という感じで投げてきた。「ちょっと上」なのでうまく出来ないこともあったが、フォローはしてくれた。
見たものを真似るのは苦手じゃないので、師匠のタッチをパクるのは我ながら速かったと思う。
しかし、しょせんそれは上っ面のこと。
俺の造園スケッチと師匠との差は、やっぱり「見てきたもの」「年季」だったと思う。
師匠は俺を連れまわしてものを見せ、時間があれば語って聞かせてくれた。
あれから俺も年くった分はものを見てきた。
今師匠のスケッチを見返せば、若い頃より少しは読み取れることが増えてるだろう。
一部でもとっておいて本当に良かった。
これ、若い人に言うと反発されがちで、俺も若い頃師匠に言われた時は納得できなかったんですけど、「センス=知識やで!」というのは、年取るほどに効いてくる。
ウザがられがちだが、年寄はやっぱり言うしかない。
「学びましょう。学びましょう。学びましょう!」
センスを「生来のもの、自前のもの」と思っているといずれ枯渇すると、俺は教えられたのだ。

2021年09月24日
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