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2021年09月24日

亡き師の教え

 二十代の頃、教えてもらった師匠のことについては、これまでにも何度か記事にしてきた。

 90年代の師匠Nさんについて1
 90年代の師匠Nさんについて2
 90年代の師匠Nさんについて3
 90年代の師匠Nさんについて4
 年を忘れつ師を想う

 昨日の記事でも、亡くなった師匠が夢枕に立った件を紹介した。

 夢と召喚と鎮魂

 今たぶん、二十代の頃教わった師匠と年が同じくらい。
 描いてると、当時言われたことを全部思い出す。

 師匠の「如是我聞」については、twitterの方で思い出すままに呟いてきた。
 以下に採録しておこう。

--------------

「描けている時に変に間をおいたらあかん。少々不義理しても描けるだけ描いておくべし。明日ばったり描けなくなることもある」

「illustrateは元々『説明する』ことなので、まず何より求められる条件、要素を盛り込み、きちんと分かりやすく見せなければならない。そういう骨格があった上での「絵心」だから、構成や下描に時間と労力を注ぎ込むこと。そこさえしっかりしていれば修整は効く」

「イラストは精進や知識、資料の蓄積が直接結果に結び付き易い。ある意味、裏切られない。絵画は怖い。少しでも努力や手間頼みが入ると逃げていく」

「イラストを見やすくするには適度に省略を入れて緩急が大事。ただ、描けないうちから省略の真似事をするとスカスカになる。自然に省略できるようになるまでは、一回みっしり描き込んでから引き算した方が良い。描き込んだ密度をたもったまま、すっきりと省略する」

 この教えを聞いた時、「あ、これ武道と一緒やな」と思った。
 最初は大きく正確に威力を高め、後に威力はたもったままコンパクトな動きに洗練する。
 なかなかそこまでできんのですがw

 イラストの省略表現や仕上げについて、師匠は俺にあまりうるさく言わなかった。
 下調べや下描きをしっかりすることには、少しだけ厳しかった。
 叱られはしないけれども、俺が甘いことをやっていると、忙しい師匠が代わりにやってしまうので、かえって堪えた。

 俺は中高生の頃、私立の中堅受験校で戦前まがいの虐待指導を受けたせいもあり、厳しくされないと怠けてしまう奴隷根性が染みついて、二十歳過ぎても抜けきっていなかった。
 師匠は俺に「絵描きの矜持」を、身をもって示してくれた。

 むかし師匠は俺に対して、「実力のちょっと上」あたりを「おまえ、もちろんできるんやろ?」という感じで投げてきた。「ちょっと上」なのでうまく出来ないこともあったが、フォローはしてくれた。

 見たものを真似るのは苦手じゃないので、師匠のタッチをパクるのは我ながら速かったと思う。
 しかし、しょせんそれは上っ面のこと。
 俺の造園スケッチと師匠との差は、やっぱり「見てきたもの」「年季」だったと思う。
 師匠は俺を連れまわしてものを見せ、時間があれば語って聞かせてくれた。

 あれから俺も年くった分はものを見てきた。
 今師匠のスケッチを見返せば、若い頃より少しは読み取れることが増えてるだろう。
 一部でもとっておいて本当に良かった。

 これ、若い人に言うと反発されがちで、俺も若い頃師匠に言われた時は納得できなかったんですけど、「センス=知識やで!」というのは、年取るほどに効いてくる。
 ウザがられがちだが、年寄はやっぱり言うしかない。

「学びましょう。学びましょう。学びましょう!」

 センスを「生来のもの、自前のもの」と思っているといずれ枯渇すると、俺は教えられたのだ。
posted by 九郎 at 22:42| Comment(0) | 妄想絵画論 | 更新情報をチェックする
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