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2021年12月28日

映画「MINAMATA−ミナマタ−」

 前回記事で紹介した映画「JOKER」は閉塞感漂う世相が呼び込んで再浮上した作品だったが、この秋公開の映画にも、まさに今観ておくべきものがあった。
 ジョニー・デップ制作、主演の映画「MINAMATA−ミナマタ−」である。



 タイトル通り、水俣病の惨禍をアメリカ人写真家ユージン・スミスとアイリーンの視点を通して描く作品で、制作発表された段階から強い関心を持って情報を追っていた。
 70年代に子供だった私にとって、公害の問題は幼いなりに報道を通して心の奥底に焼き付いており、その後もずっと関心を持っていたのだ。
 当ブログでも何度か水俣については取り上げてきた。

 呪と怨
 「怨」の幟旗、石牟礼道子、公害企業主呪殺祈祷僧団、等。

 「しゅうりりえんえん」
 三年前の石牟礼道子の訃報へのリアクション。

 良い映画になってほしいと公開を楽しみに待つ間にも、続報は流れてくる。
 その中でも気になったのが「6月末に水俣市が上映会の後援を拒否した」というニュースだった。
 報道によると市はその理由を「作品が史実に基づいているのかや製作者の意図が不明で、差別、偏見の解消に役立つのか判断できない」とし、水俣病問題を忘れたいと思う市民の存在にも触れて説明したという。
 一方で、熊本県は後援を承諾したとのこと。

 市の姿勢を単純に批判することは避けたいが、「環境絵本」などの取り組みもしていたことを知るだけに、残念な印象は受けた。
 そう言えば十年ぐらい前、当時の市長から「いつまでも公害のイメージを負わされるのは…」というような意味合いの話を聞いたことがある。
 一応意見としては理解しつつも感じた小さな疑問が、時を経て蘇ってきたように感じた。

 そしていよいよ映画公開。
 観てよかった。
 二時間のエンタメ映画の範疇でこのテーマが描かれたことの価値ははかり知れず、良くできた映画だった。
 エンタメとかフィクションの役割は「香具師」 であろう。
 虚実交えて面白おかしく耳目を集め、そこに一滴の良心、まことを仕込み、種を撒く。
 史実との相違は数あれど、スタッフキャスト共に、それで地獄に堕ちる覚悟は感じられる作品だと感じた。

 ノンフィクションの記録映像ではなく、あくまでエンタメ作品であるので、この映画を元に事実関係を分かった気になってはいけないが、提示された論点は重要だ。
 公害による被害を「しょせん極少数である」として切り捨て、企業の利益、社会の発展を盾に封殺する企業主、国家の姿勢を抉り出したことが重要なのだ。
 全ての公害、薬害、棄民を生む発想の根源がそこにある。


 元弱視児童であり、現絵描きである私の個人の思いとして、常に切り棄てられる少数派側の立場を忘れずにいたいのだ。
 コロナ禍の最中においても、今現実に世界中の人間に突きつけられている視点であると考える。
posted by 九郎 at 23:04| Comment(0) | | 更新情報をチェックする
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