大きなお寺のような神殿も、造りは非常に開放的で風通しが良い。何らかの祭典の折には人出があるのだろうが、普段はあちらこちらに参拝の人がいる程度だ。このあたりは一般の神社仏閣と変わる事は無い。
神殿は中心に当たる「甘露台」に向けて、四方から参拝する形式になっている「四方正面」という形式で、この点は普通の神社とは違う。
参拝対象の「甘露台」では、祭典の時には「かぐらづとめ」が行われる。泥海神話をイメージさせる装いの十人が、甘露台を中心にゆったりと舞う、天理教独特の儀礼だ。当ブログのどろのうみ14は、その風景を元に絵を描いたものだ。
平常時でも参拝した信徒の皆さんが、三々五々畳に座って「てをどり」を行っている。本来は物凄くゆったりとしたメロディなのだが、若い人のテンポは少し早めで、レゲエみたいにも聞こえる。
天理教には「みかぐらうた」と「おふでさき」の二つの根本教典がある。どちらも教祖・中山みき自らの著作だ。一般には、以下の版が読み易い。
●「みかぐらうた・おふでさき」中山みき・著 村上重良・編(平凡社東洋文庫)
江戸〜明治期の新宗教についての第一人者である編者が、原文に適宜漢字を当て、詳細な解説を加えつつ紹介した一冊。原文そのものは仮名による明治期の大衆大和言葉なので、慣れるまでは意味がとり辛い。こうした編集は、部外者が学ぶにあたっては大変ありがたい。
中山みき自身が作詞作曲、振り付けまでを担当した「みかぐらうた」は、ゆったりと開放感があり、親しみ易い音楽だ。「格調高い盆踊り」といった趣があり、沖縄の宮廷音楽とも雰囲気が似ている。現在はCDも出ているし、カセットテープも求めやすい価格だ。
冒頭には「「よろづよ八首」という部分があって、天理教の思想がよくまとまって表現されている。以下に引用してみよう。
万代の世界一列見はらせど 旨の分りた者はない
そのはずや説いて聞かしたことハない 知らぬが無理でハないわいな
この度は神が表へ現れて 何か委細を説き聞かす
この所 大和の地場の神がたと 言うていれども元知らぬ
この元を詳しく聞いたことならバ 如何な者でも恋しなる
聞きたくバ尋ね来るなら言うて聞かす よろづ委細の元なるを
神が出て何か委細を説くならバ 世界一列勇むなり
一列に早く助けを急ぐから 世界の心も勇めかけ(原文は全て仮名)
まことに平和な内容に思えるが、中山みき存命時にはこの「かぐらづとめ」が当局の目の敵にされた。記紀神話と異質な神話体系と、平等思想が主な理由であったと伝えられる。
ただ、中山みき自身にとっては、平和そのものの内容が「究極の革命歌」になりうると自覚していたフシもある。原典である「おふでさき」には次のような一節がある。
この先は神楽勤めの手をつけて 皆揃ふて勤め待つなり
皆揃て早く勤めをするならば 側が勇めば神も勇むる(第壱号9-10)
このたびは早く手踊り始めかけ これが合図の不思議なるぞや
この合図不思議とゆうて見へてない その日来ればたしか分かるぞ
その日来て何か分かりがついたなら 如何な者ても皆が感心
見へてから説いてかかるは世界並み 見へん先から説いて置くぞや(同15-18)
この世は理で攻めたる世界なり 何か万を歌の理で攻め
攻めるとて手出しするではないほどに 口でも言はん筆先の攻め
何もかも違はん事はよけれども 違いあるなら歌で知らする(同21-23)(以上、原文は全て仮名)
教祖の明確な意志により、創成期の天理教は「かぐらづとめ」を行ったことが原因で度々弾圧を受けた。中山みきも高齢にもかかわらず拘引され、留置場に入れられた。
しかし中山みき本人は、警察の取調べにもむしろいそいそと出かけ、堂々と道を説いたと言う。弾圧を受けるたびに「かぐらづとめ」に使用する鳴り者楽器は増え、充実していったという。
教えの原点、再度研究し直そうと考えております。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
素人の独学ですので、おかしな解釈をしている点も多々あると思います。
原典を再読されるきっかけにしていただければ幸いです。