チェンソーマン コミック 全11巻セット
【早川アキ】
早川アキはデビルハンター特異四課でデンジの先輩、そしてルームメイトとして登場。
幼少期に「銃の悪魔」の無差別大量殺戮で家族を失い、マキマの影響下で「復讐マシーン」になっている。
同居したデンジやパワーの「兄」の役割をはたすことや、先輩女性ハンターである姫野の壮絶な死をきっかけに、人間性を取り戻していく。
マキマがアキの「命の恩人」だということの詳細は作中で描かれていないが、大まかな輪郭は想像できる。
孤児になった当初のアキは、惨禍のあまりの巨大さに理解が追い付かず、「なにかの災害にあった」ようにしか感じられなかっただろう。
家族を失い、とりわけ弟に冷たくしたまま別れたことで、自分の心を苛んだに違いない。
自分を責める少年に「銃の悪魔」という明確な仇敵を教え、復讐ための肉体的な修練と、ハンターという生業を与えたのがマキマだったのだろう。
兄として弟に優しく接してやれなかった後悔に、「悪魔への復讐心」を上書きすることで、マキマはアキをコントロール下に置き、生きながらえさせたのではないか。
作中のアキは、二十歳前後の男性としてはかなり几帳面に家事全般をこなしている。
基本的には「堅物」だが、飲酒喫煙も含め、適度に生活を楽しんでいる。
これはおそらく同じチームの先輩女性ハンター、姫野の感化で、「復讐マシーン」からやや人間性を取り戻している。
若い男性のデンジとアキはわりとチョロくマキマのコントロールに「喜んで従う」状態にあるが、女性の姫野やパワーは「マキマのヤバさを知っているので敵対しない」という微妙な間合いが感じられて興味深い。
アキ、デンジ、パワーの「早川家」三人が生活の楽しみを知るようになったのは、姫野から波及したものだろうけれども、それすらマキマの掌の上という怖さが、後に明かされる。
年若い男にはありがちなことだが、アキは自分の傷や渇望にかかりきりで、せっかくの姫野先輩の好意が見えなくなってしまっている。
欠落だらけの自分を好いてくれ、人間に戻そうと気遣い、命まで捧げてくれる人のかけがえの無さが、失ってみてはじめてわかるのだ。
姫野の仇敵、蛇女の傀儡と化したゴーストを切り、サムライソードのタマを蹴って姫野へのレクイエムとした後のアキは、明らかに戦意を低下させている。
手のかかるデンジやパワーと多少距離を置き、性格的に屈折した「天使の悪魔」と対話しながら、何事か内省を進めている気配がある。
その後、各国デビルハンター機関の「デンジ争奪戦」で、ますます戦いは厳しさを増す。
そして普通の人間レベルではとうてい通用しない「地獄巡り」で片腕を失ったアキは、憑き物が落ちたように心変わりする。
しばしのオフの日々の中、デンジやパワーを帯同した亡き家族の墓参の描写にそのことが端的に表れている。
もういない家族の復讐より、今現在の「家族」の優先度が高くなり、その心の変化はデンジにも波及している。
戦うための肉体が損なわれたことで、マキマのコントロールが弱まったということもあるかもしれない。
マキマに置き換えられた「復讐心」は、元の「兄として弟に接してあげられなかった後悔」に戻り、それが「目の前の弟と妹への責任感」となって、心の欠落が満たされたのだろう。
あれほど執念を燃やしていた銃の悪魔との戦いを、直前になって抜ける決断をした折の岸辺隊長とのやり取りが、マキマのコントロールがほぼ解けたことを物語る。
「怖気づきました」
「おまえも随分まともになっちまったな」
結局その後すぐに銃の悪魔の襲来に備えて強制的に「支配」されるのだが、一度は人間に戻ったことが、マキマの意図を超えていたのかもしれない。
あまりに強大な銃の悪魔への備えとしては、アキに戦力としての意味はなかっただろう。
未来の悪魔との契約は元々微力であるし、呪いの悪魔への対価の寿命は、もういくらも残っていなかっただろう。
マキマははじめから、アキをデンジに差し向けるための生贄にするつもりだったのだ。
アキが「銃の魔人」になった過程は直接描かれていないので、解釈には幅がある。
マキマは十分に銃の悪魔を弱らせ、追い込んだ所でアキの肉体を差し出し、取り憑かせたのだろう。
おそらく過去にも同じような「手口」を使っているはずで、血の悪魔から魔人パワーを作ったのはマキマである可能性もあると見ている。
アキの肉体が乗っ取られた「銃の魔人」は、完全に銃の悪魔の意識で動いているわけでは無く、わずかにアキの意識も残留している。
元々銃の悪魔に明確な人格は無く、巨大な破壊衝動だけであったのかもしれない。
アキの意識が残っているのは、「帰巣本能」を利用するためにマキマが敢えて残したのか、或いはアキが最後の精神力で完全に支配されることを拒んだのか。
アキは幼い頃から、両親が病弱な弟にかかりきりだったため、自分の欲求を抑えることを義務付けられていた。
抑制的に振舞うことが習い性になっており、羽目をはずして「わがまま」に振舞うのは、もしかしたら銃の魔人になって初めてできたことなのかもしれない。
理不尽な「わがまま」をデンジにぶつけることができて、初めて二人は対等な友達になれたのだ。
日が暮れるまで友達と思う存分遊び狂うのは、孤独なアキにとっての長年の夢だったのではないだろうか。
それがかなえられたので、最期は本来の弟とのキャッチボールの約束の場所に戻ることができ、思い残すことなく眠れたのだ。
ライブ的な表現である週刊連載では、当初の構想を越えたキャラクターの成長が醍醐味のひとつだ。
構想段階からがっちり固まりがちな主役クラスは自由度が低く、意外に脇役の方に本物の感情が宿ることはままある。
本作では早川アキがそれにあたり、読者を感情移入の面で引っ張っている。
少年マンガには超絶の主人公のそばに「普通の人」の視点が必要で、普通の人が努力で超絶の世界にくらいつくからこそ、そこを通して世界観をつかめ、感情移入ができる。
普通の人が掘り下げた感情描写に映し出され、マンガ的類型になりがちな主人公の心情も、より掘り下げられる。
マンガ『チェンソーマン』第一部の感情移入の面でのピークは9巻の早川アキのエピソードで、10〜11巻の展開上の怒濤のクライマックスは、その余波で畳み掛けたからこそ盛り上がったのだろう。
宿命を背負って巨大な仇敵を倒すことを志し、身を削った努力型で戦闘力を高める早川アキは、古式ゆかしい少年マンガの主人公像に近い。
一方でデンジも、親に捨てられ、魂の飢餓感をエネルギーに暴れまわる悪童型で、こちらも少年を惹きつけるヒーロー像に近い。
対照的な二人が「兄弟」として出会い、時にぶつかりながら共闘し、最後に対等の友だちになるまでが、この物語の一つの柱なのだ。
(続く)