(続き)
【地獄のヒーロー・チェンソーマン】
物語の核心「地獄のヒーロー・チェンソーマン」とは、結局何者だったのか?
単純に「チェンソーの悪魔」と言ってしまえばそこまでだが、もう少し妄想で掘り下げてみる。
マキマの周到な召喚によりデンジの自我が破壊され、現世に引きずり出されたチェンソーは、暴風のような破壊と暴力の化身で、微妙な個性は読み取りにくかった。
チェンソーに限らず、作中描写でも単に悪魔であるだけの者は、強力ではあるけれども魅力や明確な個性は乏しい。
人間と交流し、あるいは魔人化したり、合体した者こそ、単純な悪魔の状態より弱体化はするが、自己主張する愛すべきキャラクターが出ている。
物語中盤登場の「暴力の魔人」は興味深く、性格はほぼチェンソーと相似している。
魔人化(=弱体化)し、毒の仮面で力を抑制され、落ち着いてものが考えられる状態をけっこう気に入っており、出来た余裕で人間界を楽しんでいる節がある。
人間界に紛れ込んだチェンソーや支配の悪魔にも、同じような匂いが感じられる。
チェンソーが空疎な力比べ、最強バトルの繰り広げられる地獄から抜けた理由も、そのあたりに鍵がありそうだ。
人間と混じった他の悪魔と同様、チェンソーもデンジとの合体で「薄められた」状態の方が、個性が見えやすくなっている。
合体前のデンジは、おかれた環境に無気力に隷従し、ポチタとその日暮らしをすることだけが望みだった。
しかし合体後、とくに変身後のデンジは闘争本能が強く出て、哄笑とともに暴れることを好んだ。
ポチタだけを友達に、ひたすらやり過ごすだけだった日々を埋め合わせ、遊び狂うように、デンジは嬉々として悪魔と戦う。
悪魔は安心して狂える遊び相手で、その遊び場に迷い込んだか弱き人間は、その都度エリアから逃がす。
中盤サムライソード編以降のような「対等以上」の遊び相手であればあるほど、変身後のデンジは狂喜する。
それはまさに、バトルマンガの主人公の化身のような姿だ。
もしかしたら「地獄のヒーロー・チェンソーマン」とは、バトルマンガを好むタイプの少年たちの破壊衝動や闘争心が地獄に投影された、「中二病の悪魔」ではないだろうか。
工作機械や内燃発動機への偏愛の要素も、そうした解釈を補強しそうだ。
暴れたい、飲み食いしたい、遊びたい等の小児的欲求に忠実なサブカルヒーローと言えば、有名所では「斉天大聖」あたりまで遡れる。
少年バトルマンガの主人公の多くはかのマジックモンキーの系譜であるし、そのものずばりの名を引き継いだ人気キャラもいる。
チェンソーはそのダークサイドに相当しそうだ。
チェンソーは強さ比べの地獄に倦み疲れ、人間界に逃亡し、支配の悪魔はそれを追って潜入。
ファンを自認(実際はストーカー)する支配の悪魔は、チェンソーがポチタとなって少年と二人きりの生活に充足していることは当然捕捉済み。
ゾンビの悪魔を使って邪魔な少年デンジを殺害させた可能性すらあると見ている。
やっとチェンソーを我がものにできるといそいそ駆けつけてみれば、そこにポチタの姿はなく、あらたな契約を結んで心臓にポチタを組み込んだ「チェンソー擬き」のデンジがいた。
そんな妄想による補完をして読み返してみても、さほど矛盾は感じない。
もう一つ、「地獄のヒーロー・チェンソーマン」には「思春期の少年少女が抱くリセット願望の投影」のような要素も感じられる。
誰かが「助けてチェンソーマン」と呼べば必ず現れ、敵も助けを求めた当人も皆殺しになる。
それは糞な日常にうんざりした少年少女にとっては、一つの「救い」に感じられるだろう。
地獄でチェンソーに殺された悪魔は「人間界送り」になり、食われた悪魔は完全消滅するという。
人間界に転生した悪魔は、地獄のような純粋な弱肉強食ではない生き方を経験する。
悪魔は本来シンプルな思考で、ある意味「子供っぽい」精神性を持つが、人間界の経験から独自の成熟を見せる者もいる。
とくに魔人や「半分悪魔」等、何らかの形で人間と合体して力が限定され、人間社会の中でものが考えられる状態になると、その成熟は促進される。
チェンソーが瀕死の状態まで弱体化したポチタの場合は、「人間以下」の成育環境のデンジと出会うことで同じ夢を見、合体して実際の「普通の暮し」の夢へと向かう。
支配の悪魔がチェンソーに執着したのも、あるいはリセット願望の現れであったのかもしれない。
しかしチェンソーは自らマキマを食って完全消滅させることを避けた。
デンジに対応を譲ることで、支配の悪魔に成り切ってしまったマキマを一旦リセットし、弱体化した幼女の状態で、パワーに代わる「手のかかる妹」として再びデンジに出合わせた。
「最強バトルを求める心」
「心が殺される日常へのリセット願望」
そんな願望が結集した地獄のヒーロー・チェンソーマンは、そこから抜けて「人間界の何でもない日常」を求めた。
デンジと出会って一旦充足するが、二人きりの閉じた世界は、やがてデンジを殺してしまうであろうことに気付いた。
デンジと合体し、チェンソーマンの能力を一部開放することで持続的に日常を楽しもうとするが、地獄から追跡してきたマキマに再び最強バトルの世界へと誘い込まれる。
ポチタはそうした「現世の地獄化」に直接付き合わず、決着をあくまで人間であるデンジに委ねた。
そして人間デンジは、およそバトルマンガの定型からかけ離れた形でマキマの鎮魂に成功した。
心も体も欠損だらけだった孤独な少年が、地獄から持ち越された因縁を全て引き受け、バトルマンガの在り方をリセットしてしまうまでに成長する物語。
第一部については、そんな解釈をしている。
単行本11巻までの第一部で物語は一度収束しているが、前述のように「余白」の多い作品なので、いつの日か読んでみたいエピソードは数多い。
マキマと岸辺、そして「最初のデビルハンター」クァンシの前日譚など、妄想の種は尽きない。
今現在も連載の続く第二部では、いよいよ地獄の深奥から「超越者」である根源的な恐怖の名を持つ悪魔が召喚され、90年代終盤の「終末」の接近を予感させる展開になりつつある。
世の終末、ハルマゲドンは、ある意味「最強バトルとリセット願望の最終形」であり得る。
デンジとナユタ、そして「戦争の悪魔コンビ」のアサとヨルは、そこにどのように関与していくのか?
今後も『チェンソーマン』から目が離せないのである。
(「最強バトルの彼岸へ」了)