お寺ではなかったが小さいながら鐘もあり、近隣門徒が法事や集会をするための公民館的な役割で、祖父母はその管理をやっていたということだろう。
今はもう現存せず、写真もあまり残っていないのだが、記憶を頼りに再現してみよう。
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街道沿いの門から入って通路を経ると多人数が集まれる「おみど」があり、その正面の「内陣」にはそれなりに立派な祭壇があった。
内陣を抜けると庫裏にあたる居住スペースがあった。
元々の部屋に加え、父兄弟の成長とともに建て増された部分があった。
逆方向の居住スペース側からも見てみよう。
間取りなどはけっこう再現できているはずだが、なにせ子供の頃の記憶なので屋根の構造などは不確かだ。
(クリックで画像拡大)
今考えると、客席・舞台・楽屋を備えた小劇場のような構造だ。
私たち兄弟やいとこ達孫世代は、盆暮れなどに祖父母宅に集まった折にはよくおみどで遊んだりした。
朝夕の勤行も物珍しく、けっこう楽しんでいた。
このブログ最初期の記事にも、その様子は記述している。
記憶の底
上掲記事の日付は2006年1月。
十八年、一巡り半で、大きく周回しながら最初のテーマに戻ってきた(笑)
ブログ開設当初よりもかなり技量は上がり、認識も広まったが、手持ちの写真等で描けるのは、とりあえずここまで。
(続く)