戦後の高度成長期以降、姫路でも維新後の「近代」の名残は徐々に姿を消していった。
姫路の戦後復興はアクの強い土建屋市長の個性によるところが大きい。
私の幼児期の記憶で印象に残っている姫路の風景も、戦後の都市計画のものだ。
●名古山霊園
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●手柄山
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●モノレール
盆暮れに集まった私たち兄弟やいとこがよく遊びに行った近所の公園も、いかにも70年代的な凝ったコンクリート遊具があって、団塊ジュニアの多数の子供たちでいつもにぎわっていた。
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二十世紀初頭に生まれ、80年代には亡くなっていた父方祖父は、まさに「近代とともに生きた」ということになる。
前回記事で紹介の説教所も近世〜近代の在り方で、戦後の世の中の変化、宗門内の変化とともに、祖父の代で役割を終えたということだろう。
そして時代の流れはとどまらず、私たち孫世代の見てきた高度経済成長以降の姫路の風景も徐々に姿を消し、上書きされつつある。
以上、今年夏ごろから断続的に、現時点で描ける父方姫路を覚書にしてきた。
英賀合戦幻想1〜5
戦後姫路小史1〜5
再び父方、姫路のこと1〜5
その過程で中世末期の「石山合戦」についても資料を渉猟し、認識を深めることができた。
また時機を見て、石山合戦以前の播州についてもまとめてみたいと思う。
2023年12月30日
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