たまたま子供らとジブリアニメの話題になって、妹の方が『思い出のマーニー』が一番好きだという。
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●アニメ『思い出のマーニー』
後で聞いたら原作まで読んだとのこと。
私はアニメ版をテレビ放映しているときになんとなく観た程度なのだが、がぜん興味が出て原作も読んでみる気になった。
原作の日本語訳にはいくつかの版がある。
今回はアニメの公開に合わせて出た新訳を入手してみた。
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●『思い出のマーニー』ジョーン・G・ロビンソン著
越前敏弥/ないとうふみこ訳(角川文庫)
読みやすそうなことと、これもたまたまさいきん訳者の別の本を、子供と読んでいたタイミングの良さもあった。
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●『いっしょに翻訳してみない?』越前敏弥(河出書房新社)
原作者は1910年イギリス生まれで、元々は絵描き志望、1939年頃から児童文学作品の執筆をはじめ、自作のイラストも手掛けていたという。
本作(原題:When Marnie Was There)は1967年刊行、すぐに人気作になり、1980年には岩波少年文庫から日本語訳が出た。
何の予備知識もないままに原作を読み始めてみて、アニメの方は舞台を日本に変換し、センスよくダイジェストしてあるのだなと、あらためて認識した。
そもそもイギリスの児童文学作品で、舞台も登場人物も全部かの国であることすら知らなかった。
原作の方は、少々心に問題を抱えたアンナと、謎の少女マーニーが、時間を置きながら密会を重ねる構成なので、本来はインターバルを置きつつ読める「字の本」がベストな媒体ではあろう。
アニメの方は「日本の年少者が100分程度で鑑賞」という枠を商業的にもクリアするために、舞台を日本に、大半の登場人物を日本人にする等、かなりアクロバットな改変が加えられている。
それでも製作陣の意図としては、与えられた条件の中で、原作に極力忠実であろうという配慮が伝わってくる。
原作を読んでほしくて仕方がない強い気持ちが伝わってくる感じがするのだ。
舞台は自然豊かで異国情緒もある北海道に置き換えられており、登場人物の国籍の異同はジブリアニメの絵柄で印象が薄められている。
このあたりの感覚は、同じジブリアニメでも「如何に元ネタからから独自の飛躍をとげられるか」に全振りした宮崎駿監督作品とは、方向性が違って見えて興味深い。
方向性は違うのだが、昨年公開の宮崎駿『君たちはどう生きるか』では、『マーニー』と同様、思春期の入り口の心の旅路と現実への帰還を、男の子側から描いているという共通点もある。
アニメ版では媒体の特性上、主人公の置かれた環境や心情は、絵として間接的に描かれるしかないが、原作の方ではたっぷり文字情報として描かれている。
アニメでだいたいの筋立てを知っていても、すぐに引き込まれるだろう。
会えたり会えなかったりするアンナとマーニーの日々が、現実感の揺らぐ不穏を匂わせつつ、切なく過ぎていく。
私は少女二人の設定とは何の共通点もない五十代男性読者だが、共感しつつ読みこんでしまう。
かつて私も孤独な子供であり、数少ない友達との心通う楽しい思い出を後生大事に反芻しており、繰り返し思い出すうちに逆に現実感が薄らいで来たりした。
軽微であるけれども、そうした似たような「症状」があったことが、共感を生んでいるのだろう。
やがて嵐の夜にマーニーが去る。
私はアニメで一通りの展開は知っているが、もし知らなかったとしても、マーニーがもう現れないのがはっきりわかりそうなほど、作中の空気がガラッと変わる。
発熱が夢うつつの境界を焼き尽くし、アンナを現実世界に引っ張り戻したのだ。
原作後半は、「謎解き」にあたる断片的なマーニーの日記を巡る物語である。
マーニーの人生は悲しみに満ちていたけれども、それも含めてアンナがすべて納得し、引き受けるきっかけを得る過程が描かれる。
読んで本当に良かったと思える一冊になった。
2024年07月31日
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