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2025年09月28日

壺井栄と向き合う3

 壺井栄読書の過程で、しばらく前に確保していたアンソロジーを確認してみると、壺井栄と徳永直の作品が収録されていた。
 壺井栄の年譜に登場する作家が、他にもけっこう収録されている。
 プロレタリア文学は以前から興味は持ちながら、中々手を出せずにいたジャンルだ。
 この機会に少し読み始めてみる。

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●『プロレタリア文学セレクション』荒木優太編(平凡社ライブラリー)
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●『欲しくない指輪』徳永直
 製本女工の描写はさすがで、ごく短い作品ながら労働現場のリアルが見える。

●壺井栄『種』
 小林多喜二の虐殺に材をとった短編。
 子を失った母との交流と、そこから継承するものを描く。
 仲間の死でさえも、男たちは時の流れで風化させる。
 それでも最後まで残る女たちの想いを拾い上げるのが作者の流儀か。

●『誰かに宛てた記録』小林多喜二
●『穴』黒島伝治
 見聞きした地獄を、「地獄である」と書くことが罪に問われた時代。
 そして同じような地獄は今も変わらず在る。

●『雲母片』宮本百合子
 短いエッセイながら、隠しきれないラスボス感。
 宮本百合子は壺井栄と同年生まれ(壺井の公称では壺井が一つ下)で、生い立ちは全く違うが、密な交流のあった姉貴分。
 


 壺井栄関連で何作か読んでみて、この本の楽しみ方がちょっと分かってきた。
 当時の書き手と状況、時代の雰囲気を詰め込んだ、雑誌とか同人誌のような感じだろうか?
 他の収録作もゆっくり読んでいきたい。

 巻末解説で戦前左翼運動の「ハウスキーパー」に触れてある。
 潜伏先で素性を隠すために協力者の女性と夫婦を装うもので、性加害もあったという。
 当然、壺井栄も見聞きしてきたはずで、女をもの扱いにする体質への反発は『妻の座』『岸うつ波』に繋がるのだろう。
 大義名分のために「女をもの扱いにする」というのは、左翼運動の問題点というより日本社会そのものの体質だ。
 本来は女性の権利を確立する方向であるべき運動の中でも、その体質に大差は無かったということの絶望感。
 劇場アニメ『この世界の片隅に』で、出征直前の幼馴染が主人公宅を突然訪れ、夫がそれを許容するシーンの意味が長らく分からなかったのだが、ようやく腑に落ちた。


 アンソロジーを少し読み始めてみて、宮本百合子が気になり過ぎたので、タイトルだけは知っていた作品も手にとってみる。

●『播州平野』宮本百合子
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 軍国主義とプロレタリア文学運動に偶然居合わせた稀有の才能が、小説の体裁で書いた敗戦前後の手記という雰囲気。
 書き手が観察眼の極めて鋭い女性であること自体が、男尊女卑の戦争文化で塗りこめられた大日本帝国に対する、強力な批評になっている。
 優れた文学にならないわけがない。

 敗戦直後の混乱を現場から実況中継するように描写が進む。
 国際情勢や国内政治に対する認識が著者の中にしっかりとあり、筆致が醒めた味わいになっている。
 これだけ透徹してしまうと、軍国主義の席巻する日常では、色々支障が出ただろう。
 短いエッセイと本作を読んだだけの妄想だが、宮本百合子は子供の頃から話し相手が極端に少なかったのではないだろうか。
 壺井栄を作家仲間に引っ張り込んだのは、自分にはない生活者の視点も持った対等の話し相手として、見込んでのことかもしれない。

 夫が思想犯として獄中の人となる回想シーンに入る。
 戦況の悪化とともに夫を兵隊に奪われ、連絡も取れない多くの妻たち。
 獄中の夫は少なくとも生死は分かり、手紙のやりとりもできることが、相対的には「マシ」になってしまう狂った状況。
 夫の故郷で思想犯解放の報に触れ、東京へ帰る決意をする主人公。
 しかし敗戦の秋、山陽道を広く水害が遅い、鉄道は寸断される。
 無計画で行き当たりばったり、歴史や自然条件を無視した軍主導の国家運営・軍事開発のつけが、戦後の混乱を悪化させる様がこれでもかと描き出される。
 見通しのないままに出発し、復旧区間をぬいながら帰還する終盤の展開が、タイトルに繋がっているのだろう。
 姫路〜加古川〜明石の鉄道、国道二号線沿いの、古来の山陽道とほぼ重なる風景は、私にとっては地元感覚でありありと浮かんでくる。
 終戦後の姫路のシーンでは、そこから歩いて小一時間ほどの範囲に、私の亡父の乳幼児期の生活があったはずで、感慨深かった。
 主人公が加古川付近で見かけた異様な「少年兵」の一団は、あるいは同年の終戦直前、姫路や加古川の空襲で焼け出された孤児たちの姿であろうか。
 穀倉地帯として長い長い歴史を重ねてきた播州平野の、だだっ広く溜池の点在する田園風景が、最後に印象的に描かれる。

 壺井栄を再読することから始まった読書で、恥ずかしながら未読だったこの作品までたどりつけて良かった。
 この流れと今の私の年齢でないと、おそらく楽しめなかっただろう。


 プロレタリア文学運動周辺の作家の作品は「新しい戦前」の危機感漂う2020年代の現在、再評価されるべきジャンルだ。
 アンソロジーを少し開いてみただけでも、このジャンルの中で多様な作風があることを知った。
 壺井栄はこれまでその流れの中では認識されてこなかったが、あらためて読んでみると時代を超えた多くのテーマを含んでいると感じた。
 私が壺井作品を読み進めていた今年6月、中国で日本未刊行の作品集が発見されたとの報が流れた。

●『絣の着物 壺井栄戦争末期短編集』 (琥珀書房)
https://amzn.to/3KhGteq

 こちらも是非、手にとってみたい。
(終)
posted by 九郎 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 教養文庫 | 更新情報をチェックする
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