角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックスで日本や中国の古典を読むのにハマっている。
しばらく前に『伊勢物語』を読了した。
●『伊勢物語』(角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックス)
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怪異譚の多い中世説話は昔から好きでよく読んでいたのだが、歌物語は趣味ではなくて敬遠していた。
作品紹介で「和歌の上手いモテ男の恋愛譚」などと言われると、わが身とあまりにかけ離れすぎて(苦笑)、あえて手にとる意欲が湧かなかった。
それでも古来読み継がれている物語なので、読めるものなら読んでおきたいとは思っていた。
この度、ビギナーズ・クラシックスならなんとか通読できるのではないかと開いてみたのだ。
実際読んでみてかなり印象は変わった。
中高生の頃、古典の授業で「筒井筒」「芥川」「東下り」あたりの有名エピソードはもちろん読んでいた。
しかし全体像を知った後で思い返すと、それらは短くキリは良いけれども、『伊勢物語』の主人公「昔男」のキャラクターがよくわかる箇所ではなかったのだなと、あらためて知った。
六歌仙の一人である在原業平とおぼしき昔男が、「歌の上手いモテ男」であることは事実だ。
しかしそれを単純に礼賛するように描かれているわけではなく、血筋のわりに権勢欲は薄く、正統な漢学よりも和歌を好み、色恋にしか情熱が持てない昔男には、どこか憎めない裏表のなさがある。
貴族社会から庶民の世界まで自由に動ける立ち位置にありながら、ただただ女性が好きで流浪してしまうことが、広く愛された要因なのだろう。
全くタイプは違うが、ファンからの愛され方は「フーテンの寅さん」に近いものがあるのではないか?
解説に、伊勢物語を元ネタの一つとして源氏物語が成立したらしいことが書かれている。
光源氏は薄幸の少年期はともかく、三十過ぎたあたりから妖怪じみてきて、死後も源氏の深すぎる業の後始末で物語が続いている。
伊勢物語の昔男にはそうした種類の「粘っこい闇」は感じない。
四五段「行く蛍雁に伝えよ秋の風」では、会ったこともないのに自分のことを片思いしすぎて亡くなった娘のことを聞き知り、慌てて駆けつけて物思いにふける姿が描かれている。
気の毒ながらかなり滑稽な状況で、こういう所が憎めなさである。
昔男の晩年も、淡々と語られている。
人と関わるのが好きで、歌をたくみに詠み続けた男が、晩年には「何を言葉にしたところで、自分と同じ人はいないのだから、わかってはもらえない」と呟く。
それでも恋は続けつつ、最後は呆気なく亡くなる。
ビギナーズ・クラシックスを読むたびに思うのは、原典の音読向きの本づくりであることだ。
今回収録された歌を音読してみて、「筒井筒」をはじめ、音の響きそのものの呪術性みたいなものも感じた。
とくに「歌物語」の場合、「意味さえ取れればそれでよい」というわけにもいかず、実際に音声にしてこそ伝わるイメージも多い。
ビギナーズ・クラシックス編集スタイルの定型として、収録各エピソードの最初は現代語訳で、そこだけ読んでも内容はつかめるが、やはり原文は読み飛ばさずに音読しておきたい。
2025年12月02日
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