夜摩天のさらに上空、金輪水面から32万由旬の高度に、第四の天界「兜率天(とそつてん)」がある。これも面積は三十三天と同じ。
六道輪廻を支配する夜摩天を超えたこの天界では、弥勒菩薩が修行を積んでいるとされている。お釈迦様もこの世に生まれる前にはこの兜率天で修行をしていたと伝えられる。
弥勒菩薩は釈迦如来によって「五十六億七千万年後に人間界に生まれ、悟りを得て仏となる」と予言された未来仏だ。
気の遠くなるような遥か未来の弥勒下生まで、この世に生きた仏が現われることはない。だからせめて弥勒菩薩の修行する兜率天に生まれたいと願う信仰が現われた。
阿弥陀如来の極楽世界と弥勒菩薩の兜率天は、かつて二大浄土として人々の憧れを集めていた。
お釈迦様に続いて解脱を果たす菩薩が、夜摩天を超えた天界で現在修行中であるという設定は、物語として確かに納得できる感じがする。
2007年10月28日
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道元禅師の来世成仏観について
Excerpt: 道元禅師の成仏観に見る思想的変化をみていく記事である。
Weblog: つらつら日暮らし
Tracked: 2007-10-29 08:35
やはり、兜率天と聞きますと、道元禅師の晩年の思想的変化というか世界観変化の影響から、とても関心があります。いったい、どうやって道元禅師の世界観変化が成立したのか?もし、平安時代末期から鎌倉時代初期の兜率天に関する信仰的状況をご存じであればご教授いただきたいところです。関連する記事をTBしておきます。ご意見いただければ幸いです。
コメント・TBありがとうございます。
私の場合、図像的な関心が主になりますので、その観点からいくつか思いつく事項を書いてみます。
●平安時代には阿弥陀信仰と弥勒信仰が並立しており、阿弥陀の図像とよく似た「弥勒来迎図」や「弥勒変相図」が描かれている。
●源信は著書の中で阿弥陀の優位を説きながらも、兜率天への上生信仰を認めている。
●念仏聖の空也と同時代に、「歓喜」と言う名の弥勒信仰を説く聖が居て、この二者が民間の浄土信仰を代表していたらしい。
●阿弥陀如来の浄土信仰が弥勒菩薩の浄土信仰と明確に分けられたのは、法然・親鸞の教説から。
●禅画の題材によく採用される「布袋和尚」は、弥勒の化身(または弥勒そのもの)として扱われることがある。とくに中国ではその傾向が強く、布袋の姿をした弥勒像が寺院に多数存在しており、1200年頃には弥勒と布袋をはっきり繋げて描いた図像が存在していた。
直接お尋ねの答えにはなっていないと思いますが、現時点で私に整理できるのはこのくらいです。
いずれカテゴリ「弥勒」を立てる予定で、ぼちぼち資料をあたっていますので、もし何か気付いたときにはTB先の記事にコメントさせていただきますね。
大変にご丁寧なご教授をいただきまして、ありがとうございます。参考になりました。
お教えいただいたことを手掛かりに、拙僧の方でも、色々と学んでみたいと思います。また、当方へのコメント、決して急ぎませんので、何かしらの折にでも頂戴できましたら幸いです。
取り急ぎ御礼申し上げ、失礼いたします。