中世に隆盛した熊野詣から遥かに時は流れた近年、再び「熊野」と呼ばれるエリアが度々メディアに取り上げられるようになった。
とくに定義されることもなく「熊野」と一言で表現されることが多いが、その範囲は必ずしも明確ではない。通常「熊野」は和歌山県、奈良県、三重県の南部、つまり紀伊半島南部の「南紀」と呼ばれるエリアとほぼ重なると考えて差し支えない。
しかしそれで「熊野」の全てをカバーできているかと言うと、必ずしもそうは言えない。
大体の感じをつかんでもらうために、絵図を一つアップしておこう。
(↑画像をクリックすると大きくなります)
絵図の中に何本かの道筋が表記してある。いずれも古来から熊野参詣のために歩き継がれてきた道だが、現在一般に「熊野古道」と呼ばれるのは以下の三つ。
【紀伊路】
大阪天満あたりからはじまり、和歌山市を経て紀伊田辺に至る、平坦な区間の多い道。
【大辺路】
紀伊田辺から那智の浜、新宮速玉大社へと至る海辺の道。
【中辺路】
紀伊田辺から熊野本宮大社に至る山越えの道。ハイキングコースとして整備されており、車道が並行していてアクセスし易いので人気が高い。
他に奈良県五條から十津川、十津川温泉を経て熊野本宮大社に至「十津川路」や、伊勢方面から新宮速玉大社に至る「伊勢路」もあるが、ここまで紹介した五本の道は現在大半が国道に重なっているので、「古道」の風情は部分的に味わえるにとどまる。
現在でも車道とほとんど重なっておらず、地道がよく残っているのが以下の三本の道だ。
【小辺路】
高野山と熊野本宮大社をほぼ直線でつなぐ、かなり激しい山道。
【雲取越】
那智大社と熊野本宮大社をほぼ直線でつなぐ、かなり激しい山道。
【大峯奥駆】
吉野山上ヶ岳と熊野本宮大社をほぼ直線でつなぐ、あまりに激しすぎる山道。
一言で「熊野へ行く」と言っても、その実態は様々だ。信仰の中心地である熊野三山(本宮、新宮、那智)に行くだけならば、交通機関を乗り継げば誰でも普通に到達することができる。
しかし、それだけでは他の神社仏閣や温泉地に観光旅行に行くのと変わらない。熊野の、熊野だけにしかない独特の雰囲気を味わうためには、「歩きに歩いて三山を目指す」というプロセスが不可欠だ。
そのプロセスを味わうための、21世紀現時点での入り口は、以下のような地点になってくるはずだ。
【大阪天満;窪津王子】
紀伊路の起点であり、紀伊路・中辺路・大辺路に点在する熊野九十九王子の起点。
【紀伊田辺】
紀伊路・中辺路・大辺路の交差点。関西方面から鉄道で熊野に向かう場合の基地にもなる。紀伊田辺付近で空港も備えた白浜も、現代的な熊野の入り口の一つに数えられるだろう。
【新宮】
関東方面から鉄道や車で熊野に入る場合の基点。
【奈良県五條】
十津川路から車で熊野に入る場合の基点。吉野方面への基点でもある。
熊野の本質は、三山に至るまでのプロセスにある。
たとえばこうして熊野について書かれた文章を読み、何らかの興味を惹かれて熊野の海山に思いを馳せた人は、既にプロセスの中に入ってしまっている。
その時点で、熊野に縁がつながっているのだ。
2007年12月28日
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