2月3日は節分。
本来は陰暦でないと意味合いが薄れるが、ともかく節分。
鬼の来る日。
来訪する異形の神を向かえる民俗には、いくつかのバリエーションがある。
節分の鬼はその代表だし、このカテゴリ節分で扱ってきた蘇民将来説話や、ナマハゲもそうだ。
私は個人的に、このタイプの民俗は「免疫機能」を象徴していると考えている。異物を完全に排除するのではなく、神事に組み込むことで受け入れ、福を得るという構図だ。
ところで2007年末から年始にかけて、このタイプの民俗にバグが発生している事例がニュースで流れた。
●昨年12月31日、男鹿市の男鹿温泉郷の旅館にナマハゲを実演した男性が女性風呂に侵入。女性客数人の体を触る。
このニュースのナマハゲは、昔ながらの村落共同体の中での民俗行事ではなく、温泉旅館内での半ば観光化された行事だったと思われる。元来のナマハゲは、ご近所のよく見知ったメンバーが仮面をかぶることでナマハゲに「変身」するものだったはずだ。だから「子供を泣かす」ことはあっても予定調和の範囲内であり、度を越した乱暴狼藉を働くことは不可能だったことだろう。
風呂に乱入したナマハゲは仮面をかぶった匿名状態にあり、しかも相手は見ず知らずの女性で、その後まったく関わりがなくなることが前提であったからこそ、不届きな行為に及んだのだろう。
つまり、見た目は「ナマハゲ」だったが、中身がまるで別物になってしまったことが原因で生じたバグだったことになる。
●岩手県奥州市黒石寺の伝統行事「蘇民祭」の観光ポスターに、「男性の裸に不快感を覚える客が多い」とJR東日本から待ったがかかる。
このニュースの中には、様々なレベルでのバグが読み取れる。
まず、地方の伝統行事を、全国に向けてポスターを発行し、見物客を募るなど、過剰に観光化してしまうことの是非。地元に関わりのない一見客が多数入り込むことで、「乱入ナマハゲ」のようなバグが生じないように注意が必要だろう。
次に「男性の裸に不快感を覚える客が多い」という理由からの掲示拒否だが、実際のクレームが来る前に過敏な判断を下してしまったJR東日本と、そのような過敏な自主規制を生み出してしまいがちな世間の風潮の両方にバグが生じていると考えられる。
日常生活からかけ離れた一種異様な風景を、参加者の大らかな合意の中、日常生活が破綻しない範囲で楽しみ、活力を得るのが古来の祭りの効用だ。
もう一度、「免疫」を象徴する民俗行事の意味を、ゆっくり見直してみる時期が来ているのではないだろうか。
2008年02月03日
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なるほど、免疫というのはわかりやすいですね。ただ、排除してしまうという善悪二元論的なものではなくて、どこか混淆的というあたり、非常に共感できます。
また、なまはげと蘇民祭の話は、残念な話でしたね。
そうなんですよ、「どこか混淆的」というあたりのニュアンスが大事だと思います。
節分の鬼はいり豆で追い払われるけど、毎年訪れて祭りの構成要素になることは許されている。
ナマハゲは子供を泣かせるけど、酒の接待を受けて丁重に送り出される。
蘇民将来は異形の神に、一夜の宿「だけ」は貸す。
混淆はするんですけど、無制限ではないバランスのとり方が、免疫機能強化のプロセスと似ていると思うのです。