2008年03月25日
熊野の核
一般に「熊野古道」と呼ばれる参詣道は、熊野三山(本宮、新宮、那智)に向かう道だが、中でも熊野本宮はどのルートを辿っても到達する中心的な位置にある。
明治時代に今の位置に移動するまでは、熊野川のほとりに鎮座していた。現在その旧社地は「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれており、鬱蒼とした木立の中に小さな祠が祀られているのみだ。
そこは「何も無いことの力」の漲る静かな静かな聖地で、熊野好きの私が中でも大好きな場所だ。
上掲の絵図にまとめてあるが、この地は風水の理想形にもかなり近いと感じられる。
本宮が遷座されるきっかけとなったのが明治22年の「明治大水害」で、この自然災害により、旧本宮大社は社殿ごと濁流に流されてしまった。
水害の原因は明治に入ってからの度を越した木材伐採であると言われている。「木の国・熊野」に相応しい壮大な潔斎が自然現象として現出し、森のバランスを崩した人間に対する御気付けがあったのだろう。
毎年この季節に訪れる花粉症も、人間の都合優先で多様な森を杉一色に塗り替えてしまったことへの、御気付けなのかもしれない。
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