大阪天王寺からJR阪和線に乗り北信太駅下車、しばらく歩くと街中に稲荷系の朱の鳥居が見えてくる。

先に進むと、建物が低くて空の広い大阪南部らしい風景の中に、こんもりと黒い森が見えてくる。
これが「信太の森」で、晴明の父母が運命の出会いを果たしたと伝えられる場所だ。昔はもっと広大な森だったのだろうが、今は葛の葉稲荷神社境内の木立に、その痕跡を残すのみだ。それでも十分に昼なお暗く、怪しい雰囲気を漂わせている。
夜参るにはかなりの度胸が必要だろう。

ぐねぐねと林立する楠は、浮き出た血管のような根っ子で土や石垣をがっちり握り締めている。
森の濃い緑に朱の鳥居が目に沁みる。
薄暗い木立の足元には、正体不明の小祠がぼこりぼこりと並んでいる。
稲荷狐の石造は大小数限りなく、無言で参拝者を出迎えてくれる。
昔はこの地に本物の狐が多数生息していたのだろう。現在の境内はそうした過去の狐天国を偲ぶ、静かなテーマパークのようだ。
ふと「オキツネランド」などという罰当たりな名前が浮かんでは消える。
この神域でひときわ目を引かれるのが、本殿横にどっかりと座り込んだような「千恵の楠」だ。

由緒書きには以下のように記述されている。
楠の樹は樹齢すでに二千余年楠大明神を祭る。枝ぶりが四方に繁茂しているので、千枝(智恵)の楠とも言い伝えられている。樹の幹が二本に分かれているので、夫婦楠とも申傳え、良縁を求むる人、または恋人同士添われぬ時或は片思ひの人など、この楠の樹の一方を抱きかかへて願ふ時は思ひを達すると申傳え(以下略)
由緒書きを読むと、信太妻伝説よりはるか昔から、この森が縁結びの信仰を集めていた可能性が高い。晴明の出生物語は、信太の森の信仰の中では比較的新しい部類に入るのかもしれない。
それにしても見れば見るほど圧倒的な巨木だ。
大きく二株に分かれた根元から、四本の物凄い幹がのたうつように伸び、その先で無数の枝が暴れまわっている。今にも動き出しそうな荒々しい姿のまま、時間が止まったように立ち尽くし、風になびく葉の音しか聞こえてこない。その対比が霊威を強めている。
神木の根元には小さな石の祠があって、そこから小型の朱の鳥居がズラッと連続している。囲いの内の一画には欠け壊れた狐の石像や鳥居が、うず高く積み上げられている。
社の背後は児童公園になっており、いくつかの遊具が設置してある。もはやすっかり開けた街中のはずなのに、暗い森の印象が依然として残り続けているのは凄まじいことだ。
葛の葉稲荷神社からJR線を挟んだ向こう側に、聖(ひじり)神社という古社がある。社自体からは相当離れた参道の入り口には大鳥居があり、その前を左右に横切るのが昔の熊野古道のルートだったらしい。

この付近にあったという信太王子は、今はもう痕跡すらとどめていないが、街中の場違いな大鳥居とその周辺に、そこはかとない古道の空気を感じることができる。
