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2008年05月31日

和歌浦の神話2

 和歌浦にまつわる伝説を、出口王仁三郎は他にも語り残している。「玉鏡」というエッセイ集(のようなもの)の中に、その物語はある。

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出口王仁三郎「玉鏡」より「素尊と稚姫岐美命」
 神世の昔素盞嗚尊様と稚姫岐美命様との間にエロ関係があつた。オオヒルメ尊様がこれをさとられて、天津罪を犯したものとして生木を割くやうにして、遥々高麗の国へ稚姫岐美命様を追ひやられた。
 風の朝雨の夕、天教山を遠く離れた異郷にあつて、尊恋しさに泣き明す姫命は思ひに堪へかねて、烏の羽裏に恋文を認め、この切なる思ひの願はくは途中妨げらるる事なく尊様の御手に入れかしと祈りを篭めて烏を放つた。烏の羽裏に文を書いたのは、黒に墨、誰が見ても一寸分らぬやうにと用意周到なるお考へからであつた。
 烏は玄海の荒浪をこえ、中国の山又山を遙か下界に眺めつつ息をも休めず、飛びに飛んで伊勢の国まで辿りついたのである。この時烏はもう極度に疲れて仕舞つて、あはれ稚姫岐美命の燃ゆる恋情を永久に秘めて、其地で死んで仕舞つたのである。
 今のお烏神社のあるところが其地なのである。だからお烏神社の御神体は、この烏の羽根だといふ説がある。
 此方、今日か明日かと尊様の御返事を待ち佗びた姫命は、何時迄たつても烏が復命しないので、遂に意を決して自転倒島へと渡り給うたのである。併しながら何処までもこの恋は呪はれて、恰度高天原に於ての素盞嗚尊様もおもひは同じ恋衣、朝鮮からの便りが一向ないので痛く心をなやませたまひ、姫命にあつて積る思ひを晴らさむと、遂に自ら朝鮮に下られたのである。嗟しかし尊が壇山に到着された時は、姫命の影も姿も見えなかつた。行き違ひになつたのである。
 かくて稚姫岐美命は遂に紀州の和歌の浦で神去りましたのである。玉津島明神、これが稚姫岐美命様をお祀り申上げたものである。


 引用文中の「自転倒島」というのは「おのころじま」と読み、「霊界物語」の中の世界観では日本列島を指す。「天教山」も同様に富士山を指す。

 独特の地名を除けば一見、記紀神話にもありそうなエピソードだが、私は見つけることが出来なかった。このエピソードも、王仁三郎の個人的な霊感によるものなのか、何らかの出典に基づくものなのかは不明である。
 記紀神話に組み込まれるとすれば、スサノオがまだ高天原に居るので、天の岩戸隠れより少し前の時点になるだろうか。
 また、和歌浦に関する神話で烏が登場するのも興味深い。
posted by 九郎 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする
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