2012年06月26日

だめだやっぱりはらわたにえくりかえる

 私は自分のことをアホな絵描きのハシクレだと自覚している。
 世間様に対して大きなことを言える程のものではないのだから、ブログにはあまりたいそうな政治ネタは書かないことにしていたのだが、3.11以降は原発関連に限ってその禁を破ってきた。

 それでも腹にすえかねるということはある。



 
 
 2009年の時点でこのように主張していた人間が、その後一回の選挙も経ずに一国の指導者になり、公然と自らの言葉を裏切って恥じないこの異常事態。
 金銭や女性スキャンダルなどよりも、はるかに性質が悪いのではないか?
 こういう人間がその責任において、安全を約束し、経済性を訴えて、原発の再稼働を決めたのである。
 私たちは好むと好まざるにかかわらず、こういう人間に生命・財産の安全を預けているのである。

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posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

大飯原発は安全だそうです。首相は責任を持つそうです。

某巨大掲示板より。
〜〜大飯原発は安全だそうです〜〜
防波堤のかさ上げ → やってません
水素除去装置   → ありません
ベントフィルター → ありません
免振重要棟    → ありません
非常用電源車    → 高台に駐車場無し
非常用発電機    → 高台に設置スペース無い
アクセス道路   → 県道241号線一本のみ(しかもトンネル)
外部電源の多重化 → やってません

野田佳彦首相「最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」

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↑クリックすると大きくなります。


あとはエチゼンクラゲ様の御心のままに。
posted by 九郎 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月05日

それはそれ、これはこれ、とはいいながら

 嘘まみれ金まみれの再稼働に対する画像をちょっと修正。
 Tシャツにでもすっか……
 (クリックすると大きくなります)
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 何度も書いたが、私はここ二十年来の反原発である。
 それもかなりイタい強硬派で、「段階的な脱原発依存」などという悪い意味で日本的な足して二で割る式のヌルい主張ではなく、日本国中のすべての原発の即時廃炉を求める極端な意見を持っていて、そこの部分ではもはや議論する意欲すらない。
 
 ただ、もうそこそこ年食ってるので、他人様が色々な意見を持っていることは承知していて、わざわざ考えの違う人の首根っこをつかんで折伏してまわるつもりはない。
 ブログというスペースを使って個人的な思いを書き連ねるのみである。

 読みたくない人は読まないでくださいね。

 原発について他人様がどう思うかはまあいいのだが、それでも3.11以降ちょっと気になってしまうのが、自分の好きな表現者が原発についてどういう意見を持っているかということだ。
 別に好きな表現者が原発推進または維持の意見を持っていることがわかったところで、その人の作品に対する思いが変わることはない。
 それはそれ、これはこれだ。
 しかしながら、私の好きなタイプの表現者は、どなたも作品と本人の生きざまが絡まり合ったようなタイプが多い。
 作品を含めた表現者そのものに丸ごと興味を持ってしまう傾向があるので、そういう人が原発という私の中ではかなり大きな問題について、違う意見を持っていることを知ると、感情的にはちょっと揺れ動くものがあることは否定できない。

 最近調べものをしている時、私が中高生のころから敬愛してやまないある作家さんが、かなりはっきりと3.11以降も「原発推進」を主張していることを確認してしまった。
 当ブログでも紹介したことがある作家である。
 実は前からネット上の「噂」としては、そのような意見を持っているらしいことを知ってはいたのだが、先日ついにご本人が直接原発について語っている動画を見つけてしまったのだ。
 そう言えば、ずっと昔のエッセイで軽く原発推進っぽいことを書いてあったような気もするが、記憶が定かではない。書いていたとしても、その文章の主題ではなかったのではないかな?
 ともかく、まだご本人が本格的な意見表明をしていないようなので、ここでは一応名前はあげないことにするが、「環境」という分野においてはそれなりに影響力がある作家さんなので、もし今後の著作などで何らかの意見表明があれば、その点においては名指しで批判せざるを得ない。

 それはそれ、これはこれとはいいながら、……である。
 残念ではあるが、それでも今後の私の人生で、その作家の作品が大切なものであることは変わらない。

 ほっと一息ついたこともある。
 長渕剛さんのことだ。
 3.11以降、この稀有な歌い手が、震災や津波被害については多くの言葉を語り、行動力を示してきたことは周知の事実だろう。
 ただ、私の見る限り、震災全般についての多くの発言に比べて、「原発」については注意深く評価を避けているような印象があった。
 少々不安をもっていたのだが、先ごろ発売されたアルバムで、歌詞としてはっきりと反原発の表明があり、一安心した。


●「Stay Alive」長渕剛
 初期のフォーク時代のファンが、その後の「変身につぐ変身」をすっ飛ばしてタイムスリップしてきたとしても、何の違和感もなく聴いてしまうであろうアルバム。
 喉を絞らず、シャウトをせず、ファルセットを使った高音が、かえって新鮮だ。
 最近の長渕剛の色合いも、ジャケットに映る割れた腹筋以外にも、もちろん音として混ざってはいるのだが、いつものあのアクの強さは抑え気味の一枚。
 その分、深く静かに「震災後の日本」に対する感情が込められている。
 昨年末の紅白で、「ナガブチは嫌いだけど、あの曲は良かったね」という評判をよく目にした「ひとつ」も、もちろん収録されており、全体にあの曲のトーンが主となっているアルバムだ。
 「昔、長渕をよく聴いていたけど最近聴いてないな」
 そんな人に、一度手に取って見てほしい。
 



 それはそれ、これはこれとはいいながら、やはり嬉しさはある。
posted by 九郎 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

なめとんか?

 昨日の夕方。
 たまたま仕事が早めにあがったので、急遽、大阪中之島の関西電力本社前の原発再稼働反対デモに、顔を出してみた。
 こうしたデモに参加するのは、たぶん初めてだ。
 手持ちのUSBメモリに入っていた↓この画像を、コンビニでA3サイズにカラープリント。
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 クリアーファイルに入れて、即席のプラカードにした。
 けっこうウケたw
 
 大阪はあいにくの雨。一時はかなり本降りだったが、デモの始まる午後六時頃には「しとしと」ぐらいになっていた。
 街路樹の下ならなんとか雨具無しでも大丈夫だが、長時間気勢を上げるなら傘かレインコートが必要な感じだった。
 ネットでの評判通り、非常に党派性、政治性の薄い、抑制の効いた抗議デモだった。
 組織的に動員された感じがしない、ごく一般的な老若男女が、スタッフの指示をよく聴いていて、それぞれが迷惑行為にならぬよう配慮に努めていたと思う。
 一部で小競り合いもあったようだが、殺伐とした雰囲気は感じられなかった。
 写真では当日の様子が伝えづらいのだが、一枚だけ紹介しておくと↓こんな感じ。
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 画面中央から右に写るビルが、関電本社。ビルの前に集まって見える人たちは全部再稼働反対デモの参加者だ。
 車道が空いているのはデモスタッフの指示の賜物で、もし適切な誘導がなければ車道まで全部デモ参加者で埋め尽くされていただろう。

 あいにくの天候だったので、さほど人が集まっていないように感じたが、自分なりの目測でカウントしてみた。
 まず十人程の一かたまりを把握し、それを五倍して約五十人の一群を想定。
 その大きさを元に集まった人波を数えてみると、少なくとも500人以上は集まっているかなと思った。
 もちろん正確な人数ではないだろうが、私としては誇大な数字にならないよう、かなり少なめに数えたつもりである。実際は倍ぐらい参加者がいても不思議ではない。
 関電本社前は、そもそも多人数が集まれるような場所ではなく、細い車道と歩道が一本通っているだけなので、デモは「面」ではなく「線」の形にならざるをえない。
 中心の関電出入口あたりに集まっている皆さんはシュプレヒコールの声が大きく、明らかにデモ参加者だとわかるのだが、周辺部分に行くほど、通行人との差が分かりにくくなる。
 数え方によってバラつきが出るのは仕方がなさそうだと思った。
 組織で動員されたデモではないので、かなり人の出入りも多い。短時間だけ参加した人も想定すると、明らかにもっと数は多くなるだろう。
 私も午後7時過ぎには現場を離れたので、終盤に向けて人数は更に増えただろう。

 デモ参加者は若者が多いので、シュプレヒコールもかなりリズム感がよく、音楽的だ。
 各地のデモでは唱歌「故郷」をうたう動きも出ているようだ。
 私も一年以上前、そういう記事を書いたことがある。
 思いは皆、同じなのだろう。

 もう一度、当ブログで作成した音源を紹介しておきたい。
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 【唱歌 故郷(ふるさと)】(3分20秒/mp3ファイル/6MB)

 あと、こんなのもあります。

 ところで、本日。
 どうやら関電は大飯原発3号機に続いて4号機を、18日午前9時に起動すると発表したようだ。

 なめとんか?
 まあ、なめとるんやろな……
posted by 九郎 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2012年08月07日

20年後、40年後、60年後

 原発事故のことを考えるとき、いつも同時に考えてしまうのは、広島のことや水俣のこと。
 70年代から80年代にかけて子供時代を過ごした私は、社会科教育や様々なメディアを通して、この二つの地名にシンボライズされる災厄について、自然と関心を持ち、学んできた。
 
 水俣病の経緯を、おおよそ20年ごとに、ごく簡単に(本来はあまり簡単にまとめてしまってはいけないのだが)概観すると以下のようになると思う。

 1950年代、地元企業による汚染で「水俣病」が発生。
 1970年代近くになって、ようやくその企業が汚染源であると断定。
 1990年代、水俣湾は美しさを回復しつつも、公害病認定をめぐる訴訟はいまだ継続。
 2012年7月31日、水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済策の申請が、国により一方的に締め切られる。

 凄惨な公害の、被害者の多くが、数十年の単位で救済されないまま切り捨てられ、分断され、差別され、いまだにそれが継続している現実がある。

 ついでながら、「とある政治家」の言動も並行した20年刻みでまとめてみる。
 
 1977年の環境庁長官当時、陳情に来た水俣病患者の団体を門前払いにしてテニス。直訴文を「IQの低い人が書いたような字だ」と発言。さらに「補償金目当てのニセ患者もいる」と発言し、問題化。後に患者に対して土下座。
 1990年代末、知事就任。重度障害者施設を視察後、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と発言。
 2011年3月14日、東日本大震災について、「日本人のアイデンティティーは我欲、物欲、金銭欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言。

 このような人物が、政治家として影響力を行使し続けることができること自体、奇異に思える。
 

 こうした原因企業及び国による、被害者切り捨ての在り様は、今後ますます周知され、記憶に刻み込まれなければならない。
 なぜなら3.11以降の日本は、電力会社と国による、低線量被曝の人体実験の場と化してしまった感があるからである。
 高度成長期に生み出された公害という地獄を経験し、日本は環境汚染に対して、それなりの規制は行うようになってきていた。
 放射能被曝に関しては、年間1ミリシーベルトのラインが設定され、まだよくわかっていない健康被害に対して予防的にきびしめの法規制が敷かれてきた。
 そうした過去に学ぶ姿勢が、3.11をきっかけに、国と一私企業が振りかざす偽りの「経済性」により、いとも簡単に投げ捨てられてしまい、放射能に関する様々な違法状態が、平然と放置される蛮行がまかり通っている。

 これからの20年後、40年後、60年後に何が起こるのか?
 それは相似形として既に示されているかもしれない。


 2010年と2011年、私は縁あって水俣の海を見る機会があった。

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 怖いくらいに美しい海を前にして、言葉が出てこなかった。
 そして二度目の水俣から帰ってきた直後、3.11を迎えてしまった。

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 水俣を語り継ぐ本は数あれど、まずは以下の一冊を開いてみてほしい。


●「みなまた海のこえ」石牟礼道子 丸木俊 丸木位里(小峰書店)
posted by 九郎 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする